江戸川乱歩の『芋虫』

 私は、上野千鶴子さんが指摘するように、「男性の性の謎は、男性自身の手にによって解かれなければならない。」と思っています。「男(または日本人男性)は狼なのよ」では、構築主義的説明にはなりません。今のところ、男性の性暴力(さらにはDVにおける暴力)には、「<疑似主体化>の試み」としての側面があるのではないか、と思っています。精神科医中井久夫さんが、暴力を行使すると、スポーツの時に心理的葛藤がしばらく棚上げできるように、ごく低いレベルでの「まとまりの感覚」を獲得することができる、と指摘しています。江戸川乱歩の『芋虫』の粗筋は、手足を失った傷痍軍人が妻との性行為を生き甲斐とするのですが、性行為の際に興奮した妻に両目を潰されて、「ユルス」と書き残して自殺する、というものだったと思います。この場合、性的に興奮した妻を「見る」ことが、傷痍軍人の<主体性>の最後の証明だったのではないでしょうか?