山折哲雄さんとオウム真理教

 『別冊太陽』の1992年春号「輪廻転生」には、国際日本文化研究センター国立歴史民俗博物館総合研究大学院大学各名誉教授である宗教学者山折哲雄さんと麻原彰晃の対談が載っています。
 既に、熊本県などの地元民と軋轢があった教団側が、法廷闘争を行っているとき、山折哲雄さんは、「・・・宗教集団としては、最後まで俗世間の法律は無視するという手もあると思うんですよ」 と、まるで非合法活動を勧めるようなことをいっています。そして、麻原個人のカリスマ性と入信が結びつかないという愚痴に対しては、親鸞道元を引き合いに出して「宗教運動の必然」を語っています。要するに、麻原と親鸞道元を同列に論じているかのようなのです。
 この1992年をさかのぼる3年前の1989年には、この教団は既に、男性信者一人を殺害し、さらには、坂本弁護士一家を殺害しています。1990年には、この教団は衆議院選挙に大挙立候補し、その自信に満ちた言動にもかかわらず、全員が泡沫候補として惨敗しています。そしてその敗北が契機になって、「唯一の真理の具現者」である自らが合法的に受け入れられなければ、非合法活動によってでも権力をというテロルへの決意をますます固めたといわれています。
 

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が、裁判の時に「山折先生のお勧めもあり、俗世間の法律は無視することにしました。」と陳述したら、山折哲雄さんはどうするつもりだったのでしょうか?