「宗教と社会」16号原稿(2)

*テーマセッション「『民衆宗教』研究の新展開(2)ー『民衆宗教』とフェミニズムの対話」より

2.熊田のリプライ
 「中山みきの家族観の中に家父長的なものへの敬意がなかったかどうかについては、資料に即して丁寧に検討すべきものであって、女性差別について全面否定的な立場だったはずだと前提するわけにはいかない。」とのご指摘には、全面的に賛同する。「熊田氏の提示する資料は十分な証拠と言えるだろうか。」とのご指摘には、確かに実証的証拠は十分ではないと思う。この点については、天理教の教義及史料集成部が非公開の形で保管している中山みきについての一次資料にアクセスできない限り、結論は出ないだろう。
 しかしながら、やはり私は「中山みき女性差別について全面否定的な立場だった。」という研究上の作業仮説を放棄するつもりはない。これは、実証アカデミズムの問題ではなく、私の研究の政治的な立場性(positionality)の問題である。現に、中山みきの「男の子は、父親付きで」という発言に注目する私の議論は、天理教の教団内フェミニストによって、教団内刊行物においてすでに紹介されている。島薗氏には、儒教啓蒙主義の伝統の上に立って、一般読者を「啓蒙する」ことを目的として「民衆宗教」研究を行ってきた側面があるように思われるが、私は「民衆宗教」教団を男女平等の方向へと「誘惑する」ことを政治的な目的として「民衆宗教」研究を行っているのである。