太宰文学と「残酷な神の支配」

─「神に問う、無抵抗は罪なりや」(太宰治人間失格」)

 宮地尚子さんが、太宰治の名作小説「人間失格」について、太宰が幼少期から受け続けてきた性的虐待との関連が全く論じられていないことを嘆いています(リチャード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005年、あとがき)。私は、小説「人間失格」が、「性的虐待を受けて育った男性の悲劇」に還元できるとは思いませんが、宮地さんの指摘はとても重要な視点だと思います。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、およそ対蹠的なものでした。そのころ、すでに自分は、女中や下男から、哀しいことを教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのようなことを行なうのは、人間の行いうる犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、いまでは自分は思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たという気持ちさえして、そうして、力なく笑っていました。もし自分に、本当のことを言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼らの犯罪を父や母に訴えることができたのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解することができなかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡りに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけのことではないかしら(太宰治人間失格」、現代日本文学館、文春文庫、2000年;pp194-195)。

 こうした幼少期を送った人間が、広い意味でのグノーシス主義、少年への性的虐待を主題にした萩尾望都のマンガ「残酷な神が支配する」(この言葉は、イェイツの詩からの引用されたもの)をもじって言えば、「残酷な神の支配」を信じるようになりがちなのは、容易に理解できることです。

 自分は神にさえおびえていました。神の愛は信じられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の鞭を受けるために、うなだれて審判の台に向かうことのような気がしているのでした。地獄は信じられても、天国の存在は、どうしても信じられなかったのです(同上;p258)。

 島薗進が指摘するように、現代の先進国におけるグノーシス主義は、古代ヘレニズムのそれとは異なり、「悪」の根源たる「狂った創造神」について体系的な世界観をもたず、「救済宗教は信じられない」という実存主義的な「漠然たる不安」のレベルに留まっていると思います(島薗進スピリチュアリティの興隆」岩波書店、2007年)。しかし、太宰文学を読むと、少なくとも現代の日本人の場合、心理学者エリクソンの言う世界への「基本的信頼」を獲得できないまま育った人の場合、「漠然たる不安」の中に、「残酷な神=狂った創造神」の姿が垣間見えることがあるようです。精神科医中井久夫の指摘によれば、欧米の精神医療では、クライアントに性について質問することはオープンになっても、宗教について質問することは依然としてタブーだそうですから、調査するのは難しいことでしょうが(中井久夫分裂病と人類」UP選書、1982年)。