日本的ACを再考するー基本的信頼感の欠如とS親和性の高さ

 私の場合、一時期はアダルトチルドレンという概念で自分の抱える葛藤を解決しようとしましたが、今思えば、私の場合、身体的虐待を受けたこともなく、中井久夫さんが「分裂病と人類」(UP選書、1982年)で触れていることですが、世界に対する「基本的信頼の欠如」と、母親の表情に過敏に反応するという「S親和性(兆候読み取り能力)の高さ」(中井久夫さんによれば、統合失調症病前性格)とが悪循環をなしていたのだと思います。
 日本的な「愛情という名の支配」、(母)親の子どもに対する過剰な期待が、単に(母)親による子どもの対する一方的な権力行使だったと言えるのか、という点には、留保が必要だと思います。愛情という名の支配(ex..モラル・マゾヒズム)、過剰な期待を、子どもが「柳に風と受け流す」ことも、もちろん「近代家族という名の強制収容所」ではとても困難でしょうが、不可能ではない対応方法であると思います。私が、「基本的信頼感の欠如とS親和性の高さの悪循環」という言葉で表現したいのは、(母)親の「子どもを支配したい癖」だけではなく、子どもの「いつも(母)親の顔色を伺う癖」の方にも問題があるのではないか、ということです。