上野千鶴子さんとキリスト教信仰

 東大の上野千鶴子さんは、「遅れてきた近代主義者」として、宗教の問題はいつもレトリックで誤魔化しながら、「昔の発言には責任をとらない」(「ニュー・フェミニスト・レビュー」)「フェミニズムは生き延びるための思想」(「生き延びるための思想」)「アイデンティティ概念は賞味期限切れ」(「脱アイデンティティ」)と、逆説的に「見事に首尾一貫して」、社会学マックス・ウェーバーの言う「心情倫理」の知識人として生き、そのまま引退なさるご様子です。上野さんは、若い頃はクリスチャンだったが、今では棄教している、と伝聞しています。しかし、「責任倫理」を確信犯的に放棄した上野さんの言論活動は、「すべては神の御心の儘に」というキリスト教の発想と、今でも実は深いレベルで通底しているのではないでしょうか。上野さんの言論活動を、近代日本におけるキリスト教知識人の系譜に位置づけてみると、面白いかもしれません。
 開業医の娘で、ポケットマネーで個人秘書を複数雇っている東大教授に、「私は庶民です」(「おひとりさまの老後」)とか、女性天皇問題について「権威への共同参画はいらない」(「朝日新聞」)とか言われたって、みんな白けるだけです。上野さんのベストセラー「おひとりさまの老後」も、そこそこカネがあって、人付き合いのウマい女性のための実用書です。カネがなく、人付き合いもウマくない女性は、天理教にでも入信した方が幸せになれそうな気がします。天理教の女性教祖・中山みき(1798-1887)は、34年間も「おひとりさまの老後」を生き抜いています。