天理教教祖と夫・善兵衛ー中川よしの心の琴線

 夫善兵衛様は次第に案じを抱かれて、この者の言葉に従っていては、いまにわれともども難儀の末乞食になるほかなし、と思われて、いまにこの妻を殺害するほかなし。と、ある夏のことにしておやさまが蚊帳のなかにお休みになっていたところへ、一刀の剣を携えて、寝打ちをしようと忍び足にて寝所に忍び入られましたが、おやさまは神のやしろゆえによくよくお知りであって、前もって起きておられ、善兵衛さまに向い、

「そこもとはわが妻と思えど、この者の身体は神のやしろなり。そこもとの自由にかなわず。」

 と仰せられました。その時、夫善兵衛さまは、その場にて刀を持ちながら身体自由かなわず、それゆえやむを得ず恐れ入り、ただちに手を下げて懺悔せられました(天理教南大教会(編)『松永好松遺稿 普及版 教祖ひながたと基本教理』1993年(立教156年)、p14)。

 

天理教教祖の夫・善兵衛は、教祖に「刃を向ける」こともあったという伝承です。広い意味では、ドメスティック・バイオレンスです。この記述は史実ではなく伝説でしょう。この資料は、天理教初期の女性カリスマ・中川よしが「教祖の話を聞いただけで、感動して信者になった」というその資料の現代語訳です。中川よしは、当時はバタード・ウーマンでした。最後には、DV夫を布教師にしています。中川よしは、「夫の暴力に脅かされる教祖」にも、共鳴するところがあったのだと思います。