アンパンマンの孤独−愛と勇気とホモソーシャル−

愛知学院大学人間文化研究所紀要29号原稿(2014年9月刊行)


<題名>「アンパンマンの孤独−愛と勇気とホモソーシャル−」
<著者>熊田一雄(文学部宗教文化学科准教授)

<Title>The Loneliness of Anpanman−Love, Courage and Homosocial−
<Author>Kazuo KUMATA(Faculty of Letters, Department of the Study of Religious Culture, Associate Professor)


<要旨>
 本稿の目的は、やなせたかし(1919-2013)原作の国民的アニメ『それいけ!アンパンマン』(原作絵本1973-、アニメ1988-)の主題歌『アンパンマンのマーチ』を取り上げ、なぜやなせが「愛と/勇気だけが/友だちさ」と作詞したのかを分析し、そのことが、太平洋戦争中にやなせが弟を事実上の「特攻志願」の上で亡くしたことと深く関係していることを見る。『アンパンマンのマーチ』の歌詞は、ジェンダー研究者のイヴ・K・セジウィックのいう男同士の「ホモソーシャル」な絆を否定しているのである。


<キーワード>
アンパンマン/男らしさ/ホモソーシャル/太平洋戦争/特攻志願


―「愛と/勇気だけが/友だちさ」(『アンパンマンのマーチ』)


1. はじめに
 本稿の目的は、やなせたかし(1919-2013)原作の国民的アニメ『それいけ!アンパンマン』(原作絵本1973-、アニメ1988-)の主題歌『アンパンマンのマーチ』を取り上げ、なぜやなせが「愛と/勇気だけが/友だちさ」と作詞したのかを分析し、そのことが、太平洋戦争中にやなせが弟を事実上の「特攻志願」の上で亡くしたことと深く関係していることを見る。『アンパンマンのマーチ』の歌詞は、ジェンダー研究者のイヴ・K・セジウィックのいう男同士の「ホモソーシャル」な絆を否定していることを見る。


2.「愛と/勇気だけが/友だちさ」
 『それゆけ!アンパンマン』(アニメ放映は1988年から)は、現代日本における国民的アニメである。そのオープニング・テーマ曲『アンパンマンのマーチ』も、少なくとも日本の若い世代では、聞いたことがない人はまずいないだろう。
 やなせの太平洋戦争体験と『アンパンマン』の関係について、やなせは以下のように説明している。


 ぼくは優れた知性の人間ではない。何をやらせても中ぐらいで、むつかしいことは理解できない。子どもの時から忠君愛国の思想で育てられ、天皇は神で、日本の戦争は聖戦で、正義の戦いと言われればそのとおりと思っていた。正義のために戦うのだから生命を捨てるのも仕方ないと思った。
 しかし、正義のための戦いなんてどこにもないのだ。
 正義はある日突然逆転する。
 正義は信じがたい。
 ぼくは骨身に徹してこのことを知った。これが戦後のぼくの思想の基本となる。
 逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。これがアンパンマンの原点になるのだが、まだアンパンマンは影もかたちもない(やなせ1995=2013b、p70)。


 自ら作詞した主題歌『アンパンマンのマーチ』の歌詞については、やなせは以下のように説明している。


 アニメのテーマソング「アンパンマンのマーチ」は「手のひらを太陽に」と並ぶ国民的愛唱歌です。
 「あれは相当難しい歌なんで、意味はわかっていないと思う(笑)。でも、ほんとうの意味というのは、なんとなく通じてしまうんだね。ノスタルジーを歌う童謡とちがって現在の歌だから、小さい子どもにもわかるんです」(『ユリイカ8月臨時増刊号』、2013(やなせたかし氏の2012年の発言)、p185)。


 本稿では、やなせが「相当難しい」としている歌詞のなかの、「愛と/勇気だけが/友だちさ」という部分に焦点をあてて分析する。やなせ自身は、歌詞のこの部分について、以下のように説明している。


正義は勝ったと言っていばってるやつは嘘くさいんです。
(中略)
アンパンマンマーチ」の中に、


 愛と勇気だけが友達(ママ)さ

  
 という歌詞があります。それで抗議がきたことがあるんだけど。これは、戦う時は友達を巻き込んじゃいけない、戦う時は自分一人だと思わなくちゃいけないんだということなんです。お前も一緒に行けと道連れをつくるのは良くないんですね。無理矢理ついてくるなら仕方ないけどね。
 横断歩道もみんなでわたれば怖くない、悪いことする時も群衆でやれば怖くないというのがあるけど、責任は自分で負うという覚悟が必要なんだということです(やなせ、2013a、pp.122-123)。

   
 ひとつはっきり言えるのは、戦争は良くないということ。
 国民を統一していくには、戦争をするのが便利という時もあります。仮想敵をつくっていく方が、正義として国民の心を一つにまとめることができるわけです。政府は自分も悪いやつなんだけど、相手が悪いというのはひとつの政策なんでね。
 戦争は国家の意思でやるものです。その中に国民がまきこまれているわけですね。国家と殺人は全然違う。例えば日本とロシアが戦争をしたって、個人は相手を憎んでいるわけでもなんでもない。それが国家ということになると戦いになって国民は犠牲になるわけなんです(同上、p143)。


 やなせの他の発言と突き合わせて考えると、この部分は、やなせが太平洋戦争中、弟に事実上「特攻志願」されて、戦死(事実上の「特攻」に行く途中で、乗っていた軍艦を米軍に撃沈されて死亡)という形で失ったことと深く関連しているように思われる(1)。


3.やなせ氏の弟の「特攻志願」
 やなせ氏の弟の事実上の「特攻志願」と『アンパンマン』の関係について、やなせは次のように説明している。


弟は小倉の旅館に泊まっていたので、ぼくは外出許可をもらって、弟が泊まっている旅館で、一緒に食事をしながら話しました。
聞くと、海軍の特別任務につくので、最後の挨拶に来たと言うのです。
「なんでそんなものになったんだ」とぼくは怒りました。
若い将校を集めて「特別任務を志願する者は一歩前に」と言われたそうです。千尋(熊田註;やなせたかし氏の弟の名前)は、「志願者は一歩前に」と言われて一歩前に出てしまったのです。
「お前そんなものに出るな」と言ったのですが、「みんなが出るのに出ないわけにはいかない」と言うのです。そんなバカな話はない。でも、行かずにはおれなかったのでしょうね。
 弟は飛行機がダメだったので、特別任務のほうにまわされたのかもしれません。
 当時海軍は、秘密兵器として奇襲作戦用の小型特殊潜行艇をつくっていたのです。
 そのあと何を話したか、忘れてしまいましたが、やるせない気持ちでいっぱいになりました。
 弟の顔を見たのは、それが最後です。
(中略)
 ぼくはそんなつもりはなかったのですが、「アンパンマンのマーチ」が弟に捧げられたものと指摘する人もいます。それだけ、弟と最後の言葉を交わした記憶が深く残っていたのでしょう(やなせ2013c、pp37-39)。


 それでは、やなせの弟は「軍国少年」で、戦時中のやなせのように、単純に「正義の戦争」を信じていたから事実上の「特攻志願」をしたのだろうか。以下のやなせの証言に見るように、やなせの弟は決して「軍国少年」ではなかった。


弟は、京都帝大の法科の学生でしたが、そこから海軍に志願したのです。
「おまえ、なんでそんな特攻隊なんかに志願するんだ。やめろ、やめたほうがいい」
 やむにやまれず、僕は弟にこう忠告しました。すると弟は、こう答えたのです。
「大学に海軍の将校がやってきて、“特攻隊に志願する者は、一歩前へ”っていう。けど、みんなが一歩前へ出るのに、自分だけ出ないというわけにはいかない」
 僕は釈然としませんでした。が、このとき弟は、視力があまりよくなかったために、海軍の特攻隊に落ちたのです。僕は胸を撫で下ろし、「よかったじゃないか、特攻隊なんか行くな」といいました。
 ところが、大学へ志願要請がまた来て、結局、「回天」での特攻隊への入隊が決まったのです。「回天」はひとり乗りの非常にちっちゃな特攻潜行艇で、その艦の中は真っ暗闇。懐中電燈で照らしながら操作して、前進だけしかできない代物(しろもの)でした。訓練も命がけで、その訓練中にたくさんの若者が亡くなったのです。
 弟はその訓練を受け、海軍少尉に任官しました。その当時は“7つボタンの制服”で格好はよかった。「おお、カッコいいじゃないか」と僕がいったら、「いや、こんなものは猿芝居だよ」と弟は一言。海軍の特攻隊に志願はしたけれど、弟は軍国少年ではありませんでした。“猿芝居だ”といったように、本当は特攻隊などに行きたくはなかった。弟は、時代という目に見えないものに、拉致(らち)されたような気がしてならないのです(やなせ2011、pp.77-78)。


 やなせの「軍国少年ではなかった」弟が事実上の「特攻志願」をしたのは、当時の若い将校の間での、「みんなが出るのに出ないわけにはいかない」という「無言の圧力」のためだったようである。


4.ホモソーシャルとは?
ホモソーシャルは、アメリカのジェンダー研究者、イヴ・K・セジウィックが提唱した概念であり、簡単にいえば「男性間の非・性的な絆」のことである(セジウィック1990=1999、1985=2001)。社会学者の上野千鶴子は、この概念を以下のように簡潔に説明している。


 すなわち婚姻とはふたりの男女の絆ではなく、女の交換を通じてふたりの男(ふたつの男性集団)同士の絆を打ち立てることであり、女はその絆の媒介にすぎない。ここに男同士の間の本来の目的があり、異性愛者の「真の絆」の対象は、同性の男と見なされた。
 このセジウィックの説には、以下の三つの概念の構造的な配置がある。第一は、男同士で互いに男と認め合った者たちの連帯である。これをセジウィックホモソーシャル(男同士の絆)と呼ぶ。第二は、男の欲望を女にさしむけるための、同性の男に対する欲望の禁止である。これがホモフォビア(同性愛恐怖)である。第三は、男同士の連帯から排除され、欲望の対象となる女の他者化(ミソジニー、すなわち女性嫌悪)である。これが<ホモソーシャルホモフォビアミソジニー>、この三点セットである。
 もっと簡単に説明しよう。男は、互いに男と認めあった者たちのあいだで連帯をつくりだし、その男の集団への参入資格が「女をモノにする」ことである。そしてそのあいだに潜在している男同士の欲望は、そのつど検閲され、排除される。それによって異性愛制度は維持されていく。それが男から同性愛者に対する「おまえ、おかま(原文傍点)かよ」という差別と排除であり、「キモチワルイ」という身体化された検閲の機能である(上野2013、pp.206-207)。


 こうしたホモソーシャルな感性は、戦時中はもちろん、戦後も日本社会に根強く存在し続けている。全共闘世代(1946年から1948年に生まれたグローバルな戦後第一世代)のミュージシャンであり、精神科医でもある北山修(1946-)が作詞したヒットソング「男どうし」の歌詞では、こうしたホモソーシャルな感性が歌われている(2)。





 全共闘世代の精神科医九州大学名誉教授)にして人気ミュージシャンであったこの曲の作詞者・北山修は、大ヒット曲『戦争を知らない子どもたち』を作詞したが、同時にこの『男どうし』という曲も作詞した。「ふるさとに帰ったら 顔だけは出すんだよ/無理を承知で あの娘もひっぱり出すつもりさ/だって男どうしじゃないか/昔のように話し明かそうよ」という部分に、北山修が、「反戦」を歌いながらも、イヴ・K・セジウィックのいう「ホモソーシャリティ」(男性間の非・性的な絆)の特権性―そのためなら、「無理を承知で あの娘もひっぱり出す」ことすら許される―は全く疑っていないことがよく現れている。
 「無理を承知で あの娘もひっぱり出す」ことは、従軍慰安婦問題のような男性セクシュアリティの諸問題にも直結していると思われる。やはり全共闘世代に属する伊藤公雄氏(京都大学教授)の提唱している「メンズリブ運動」の限界のひとつも、「男どうし」の関係性が持つこの特権性を対象化しきれていない点にあると思われる(cf.熊田2005)。


5.国家権力によるホモソーシャルの利用
 太平洋戦争中、「特攻志願」を募るにあたって、国家権力が、男性兵士の間の上記のようなホモソーシャルな絆を巧妙に利用したことは、城山三郎(1927-2007)の小説『一歩の距離−小説 予科練ー』(城山1968=2001)に説得力をもって描かれている。城山自身も、も昭和の初めに生まれ、1945年に十代の半ばで海軍に志願した世代であり、海軍特別幹部練習生として特攻隊である伏龍部隊に配属になり訓練中に終戦を迎えている。そして、戦後「かつての予科練たち」に取材してこの小説を書いている。こうしたことが、この小説に以下のような迫力ある描写をもたらしている。


前に出る練習生の靴音が聞える。前で、左で、背後で、右で。二人、三人、五人・・・・・・。靴音は脅迫的にひびく。だが、まだ全員はない。
 出なければ、出なければ。死ぬために来たのに、何を躊躇っているのか。
 腋の下を冷たい汗が流れ続けた。手もぐっしょり汗を握った。
 両親や兄弟のことを思った。飛行機にも乗らずに死ねるものか。おれが行かなくても、幾らでもその要員は集まる。逃げるんじゃない。おれは飽くまで空で死ぬんだ・・・・・・。
 苦しかった。頭が燃えて来る。そっと薄目を開けた。その視野にすぐ左から黒く大きな人影が出た。小手川であった。小手川が行くというのに。塩月の足がふるえた。
「ようし、待て」
 老大佐は台上から消え、大尉が号令した。
「そのまま動くな。全員、目は閉じておれ」
 士官たちが、各分隊に散ってくる。志願者の名前控えが始まる。
 決まったと思った。ほっとしたが、その安堵がたちまち悔いに染められて来る。ありもしない飛行機、その飛行機のせいにして、死を逃げたのではないか。何故、身を投げなかったか、一歩前へ出なかったのか。いまから一歩出てはいけないのか―。
 塩月は、歯を噛み合わせ、眼を強くつむった。みんな、しっかり瞑目していてくれ。
 その日、昼過ぎまで、練習生分隊はひっそりしていた。練習生同士、胸の中を探り合うというより、夫々の決意を静かに反芻していた。前に出るのも出ないのも、余りにも大きな決意であった。一歩の前と後の間には、眼もくらむばかりの底深い谷があった。
 遅かれ早かれ、いずれ死ぬ―という慰めに似た思いが、その谷を煙らせてくれる筈であったが、それにしても、傷口は生々し過ぎた。此方の岸と向うの岸。練習生たちはまだ茫然と断崖に立ち尽くし、眼の下の谷の深みに気を呑まれていた(城山三郎1968=2001、pp.94-95)。


 こうして最初の「特攻志願」をしなかったこの小説の登場人物・塩月は、心理的負い目から、二回目の「特攻志願」には応じる。


 隣の大津空から十五機の水偵が一時に消えてしまったのは、滋賀空の塩月たちにまた一つの衝撃となった。下駄ばきのまま特攻機として突入して行くのだという。壮烈だと思った。口惜しまぎれだが、下駄ばきと蔑んだことに気が咎めた。上尾は行ったかどうか。黙ってやることはやっていく性格だし、命がけで庇うほど九四水偵が好きであった。恐らく、行ったであろう。
 塩月は暗然とした。親友という親友においてきぼりをくった気がした。おれだけ生き残っているというひそかな喜びより、死に遅れたという焦りや後ろめたさが、ますます強まった。
 それだけに、十日ほどして、十五機の水偵が舞い戻って来たのを見た時には、喜色を隠せなかった。「よかった、そんなに慌てるな」と声に出さずつぶやく(同上、p178)。


 「親友という親友においてきぼりをくった気がした」「死に遅れたという焦りや後ろめたさ」という心理―「生存者罪悪感(survivor's guilt)」が、「特攻志願」の背景にあったことも少なくなかったのであろう。ここでいう「親友」同士の「連帯感(運命共同体感覚)」を「ホモソーシャル」と形容することに無理はないだろう。


6.おわりに
 本稿では、日本の国民的アニメ『アンパンマン』の主題歌『アンパンマンのマーチ』で「愛と/勇気だけが/友だちさ」とされている理由を、アニメの原作者でありこの曲の作詞者であるやなせたかし氏が、太平洋戦争中に弟を、事実上「特攻志願」された上に戦死という形でなくしたことと関連において分析した。『アンパンマンのマーチ』は、「戦友」という概念をラディカルに否定し、男性の「ホモソーシャル」な絆を否定しているのである。事実、ジャムおじさん以下、アンパンマンの「親密圏」は男女キャラが入り交じっている。
 もちろん、『アンパンマンのマーチ』が男性の「ホモソーシャル」な絆を否定していることには、弟に事実上の「特攻志願」のうえで戦死されたというやなせの重い経験以外の要因も関係しているだろう。やなせは、「男らしく」「女らしく」「子どもらしく」という考え方自体が好きでない、と述べている。


「子どもは、子どもらしくしなさい」「もっと男らしくしないと、女にはモテないぞ」「もっと女らしく振る舞いなさい」・・・・・・。
 僕は、この“らしく”という言葉が好きじゃない。“らしく”というのは、そのものにふさわしい特質を備えているかどうか、ってことでしょうが、人間、人それぞれなのですから、別に“らしく”ある必要はないと思うのです(やなせ2011、pp.199-200)。


 やなせのこうした「ジェンダーフリー」と呼べそうな発想は、1.大正デモクラシーの時代に自己形成したという時代的背景、2.リベラルで知識人だった開業医の養父に育てられた家庭環境、3.自由主義の校風(東京高等工芸学校)の中で青春を過ごしたこと、4.「とても軟弱」という若い頃の気質、などからきているのであろう。
 また、『アンパンマン』がいくら国民的アニメだといっても、視聴者の中心はあくまで3才〜5才くらいの幼児であり、現在(2014年時点)であれば、7才くらいになれば、男の子のヒーロー像は『仮面ライダー』や「男性戦隊もの」などに、女の子のヒロイン像は『プリキュア』などに変わっていくことがほとんどであろう。そういう意味で、『アンパンマン』の社会的影響力はある程度限定されている(3)。しかし、原作者の第二次世界大戦における重い経験が込められた「ジェンダーフリー」な『アンパンマン』は、近現代日本ジェンダー史に確実に一定の影響を与えたし、また今後も与え続けるだろう。


<註>
(1)やなせの実弟・柳瀬千尋氏は終戦直前の1944(昭和19)年に海軍が採用した特攻兵器、人間魚雷「回天」の乗員に志願して、フィリピンへの移動中に亡くなっている。しかし、1943(昭和18)年にやなせが中国に行ってしまっているので、千尋氏が小倉にやなせを訪ねて特攻隊に志願した話をすることはできない。おそらく、千尋氏が語ったのは、もうひとつの特殊潜行艇「甲標的」の搭乗員に志願したことだと考えられる。実質的には出撃すれば戻れる確率の低い、回天と同じような特攻兵器だった(やなせ2013c、p50)。
(2)精神科医「なのに」ジェンダー保守なのではなく、精神科医「だからこそ」、社会常識に疎いところがあり、ジェンダー保守の考え方を相対化できないのであろう。
(3)2013年には、右翼的な思想をもつ作家・百田尚樹氏の小説『永遠の0』とその映画版が、社会現象といっていいほど大ヒットした(百田2006=2009)。「義理(戦友に命を助けられた)と人情(妻娘のために生き延びたい)を秤に掛けりゃ、義理が重たい男の(生活)世界」が国家に利用される(特攻死)という話である。エピローグでは、米軍兵士たちとの「ミニマルな友愛」(J・デリダ)―「好敵手」として認められる―が描かれていた。絵に描いたような「ホモソーシャル礼賛」の物語である。


<謝辞>
 城山三郎の小説『一歩の距離−小説 予科練−』については、作家の彦坂諦氏にご教示いただいた。記して感謝したい。


<参考文献>
上野千鶴子『女の思想』集英社インターナショナル、2013年
イヴ・K・セジウィック『クローゼットの認識論ーセクシュアリティの20世紀−』1999年(原著1990年)
イヴ・K・セジウィック『男同士の絆−イギリス文学とホモソーシャルな欲望−』名古屋大学出版会、2001年(原著1985年)
熊田一雄『男らしさという病?−ポップ・カルチャーの新・男性学−』風媒社、2005年
城山三郎『一歩の距離−小説 予科練−』角川文庫、2001年(初出1968年)
百田尚樹永遠の0講談社文庫、2009年(初出2006年)
やなせたかし『絶望の隣は希望です!』小学館、2011年
やなせたかし『わたしが正義について語るなら』ポプラ新書、2013年a
やなせたかしアンパンマンの遺書』岩波現代文庫、2013年b(初出1995年)
やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい』小学館クリエイティブ、2013年c
ユリイカ8月臨時増刊号−総特集☆やなせたかし アンパンマンの心−』青土社、2013年

生活保護女性へのセクハラ

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140329-00034032/ より転載
生活保護女性への「セクハラ」 実は氷山の一角 背景にある行政の”絶対権力”
水島宏明 | 法政大学教授・元日本テレビNNNドキュメント」ディレクター
2014年3月29日 15時34分


 「やれやれ、またもこんなニュースが・・・」。
日頃、生活困窮者の支援活動を行っている人のなかには、このニュースを知って、ため息をついた人が多かっただろう。
私もその一人だ。


生活保護女性にセクハラ、男性職員を免職


 茨城県古河市は28日、生活保護受給者の女性にセクハラ行為をしたとして、職員課の30歳代の男性職員を同日付で懲戒免職にしたと発表した。  発表によると、職員は生活保護課に所属していた2012年4月〜13年11月、ケースワーカーとして担当した市内の生活保護受給者宅を訪問した際などに、複数の女性にセクハラ行為をしていた。市は女性たちのプライバシー保護などを理由に、具体的な人数や内容を明らかにしていない。  昨年11月、受給者の女性から苦情が寄せられ、市が調査を実施。職員と女性たちへの聞き取り内容が一致したことなどから、セクハラと認定し、今年2月に職員を異動させた。  職員は「私なりのコミュニケーションの取り方だった」などと話しているという。 (2014年3月29日11時47分 読売新聞)
出典:ヨミウリ・オンライン

生活保護と女性へのセクハラ。


 これは、生活困窮にあえぐ人たちからの相談を受ける支援者が、時々、耳にする話だ。
 私の取材経験から言っても、今回の事件は「氷山の一角」に過ぎないと断言できる。
 実際には、生活保護を受けている女性(多くはシングルマザー)と、ケースワーカーと呼ばれる区役所などの生活保護の担当職員の間でこの問題が起きがちだ。
 とても古い話で恐縮だが、1987年、私はテレビ記者として札幌で起きた母親餓死事件をきっかけに生活保護の問題を取材するようになった。


●札幌母親餓死事件。


 3人の子どもを抱えた39歳のシングルマザー(その頃は、この言葉は一般的でなく、母子家庭の母親、と表現していた)がパートの掛け持ち労働などの末に体調を崩し、生活困窮に陥った。
 区役所を訪れて生活保護を助けを求めたが、「まだ若いから働けるだろう」などと言われて申請することもできず、その後、餓死した姿で発見されたのだ。
 この事件をきっかけに、生活保護を受けたことがある人や生活保護を受けようとした人たちの「声」をテレビで呼びかけて取材したところ、本当に生活に困った状況で役所の生活保護担当の窓口に行っても、ひどい言葉で追い返された、という体験談が多数集まった。
 生活保護の世話になりたくはないが、他に頼るべきものがないために決死の覚悟で役所を訪れた人たち。
 そういう人たちに「申請書」を渡さず、「あなたには生活保護は無理」と口頭で言って事実上「追い返す」行政の対応。
 それは近年、弁護士や司法書士などの運動の甲斐もあった「水際作戦」として社会問題化している。
 1987年当時はこの言葉もなく、支援する団体や弁護士らも数少なく、そうした実態が私の元に集中する形になった。
 生活保護を求めて役所に行くと、申請の前に、法律には定めのない「相談」という非公式なプロセスが行われる。
 その「相談」は相談室という「密室」で行われる。
 そこでのやりとりは、隠し録音でもしない限り、正確なやりとりは外に出てこない。



生活保護を「申請」するまでのセクハラ


 生活に困窮する女性と男性の職員(女性職員が多くなったのは比較的最近のこと)が密室で、向き合う。
 シングルマザーなどの女性に対して、区役所などの担当職員が投げつけた言葉は、今の感覚ならば明らかにセクハラと言えるものばかりだ。
■「そんなに生活に困っているんだったら、生活保護など求めなくても金を稼ぐ手段はあるだろう? 実は売れるものがあるだろう?」
■「ソープランドに行けばいいじゃないか。あなたなら結構きれいだから十分にいけるよ」
■「子どものために生きるためになんでもするという姿勢を見せてくれないと。本当に切羽詰まって何でもするというなら、あなたの誠意を行動として私に見せてほしい」
 これらの体験談が当時の私の取材メモに残っている。
 女性たちが涙ながらに訴えてきた内容だ。
 「そこまで人間として扱われないなら…」と、屈辱的な言葉を浴びて二度と役所には行くまいと誓った女性たちも少なくない。
 このあたりは拙書「母さんが死んだ〜しあわせ幻想の時代に〜」(ひとなる書房、初版1990年2月。新装増補版2014年2月)に詳しい。長いこと在庫切れだったが、最近、「あとがき」を追書して、復刊した。注意深く読んでいただければ、寄せられた体験談のなかに多くの「セクハラ」のケースを見つけられるはずだ。
申請という手続きは法律に定められた「権利」であるにもかかわらず、職員の「さじ加減」でなんとでもなる現状から「セクハラ」が起こりやすくなる。
 当時、私が取材した女性たちの中には、密室で「関係を持つこと」をほのめかされ、背に腹は替えられないと従わざるえなかった、と涙ながらに話してくれた人もいた。
 こうしたセクハラは、実は「水際作戦」が全国各地の役所で蔓延しているから起きる。
 生活に困った人がその場で申請書を記入し、条件に該当するかどうかを役所側が後で調査する、という流れになっていればそれは起きないのだ。
 申請書を出してしまえば、生活保護の条件を満たしているかは、収入や資産、親族などの扶養の金額などを合算し、保護基準の金額に達しているかどうかでドライに判断される。
 役所が定める「保護基準」=「最低限度の生活」に達していないと判断されれば、生活保護を受けることができる。
 ところが、実際には申請書をすぐには書かせてもらえない。職員は、まだ働けるはずだとか、援助する人がいるはず、などと「はず」をくり返して、最後には「もう少し考えてから来てほしい」など言って追い返す。
 これが水際作戦だ。筆者も実際に何度も取材してみたが、本人がいくら「申請書を書かせてほしい」と言っても、職員は違う話題にすり替えてはぐらかしてしまっていた。
 並大抵の努力をしないと申請書にたどりつけないのだ。
 しかし、これは行政の手続きとしては明らかにおかしい。手続きに乗らなければいざという時の不服申し立てさえできないのだから。
 すべてのケースで、申請書を書く手続きが保障されていれば(イギリスやドイツなど欧州諸国はそういう形になっている)、水際作戦で、「職員の恣意」が入る余地はない。


 さて、「水際作戦」は、申請書を書くことができて生活保護を受けるようになった後も続くことになる。
 受給していても、「そろそろ生活保護を打ち切った方が良いのでは?」と職員から「辞退」を勧められる。
 「世間体も悪いし」「働かないとこれ以上、生活保護は認めない」などと言ってくる。
 すでに働いていて収入が「基準額」をかなり下回っていても、「働いているんだから生活保護は廃止する」などと言ってくるのだ。
 ここでも本来であれば、生活保護の条件は、収入が基準額を上回っているかどうか、だから、収入などを合算して金額をクールに計算することになる。だが、できるだけ保護費を減らせなどと上司から言われている職員は、クールに計算しても生活保護の支給継続が当然という受給者に「自ら辞退する」ということを求める。
法律上は何の規定もないが、こうしたケースで全国各地で使われているやり方が、「辞退届」を書かせる、という非公式な方法だ。
「私、○○は*月*日をもって生活保護を辞退します」などと書かせて、打ち切ってしまう。
 あくまで本人の自主的な意思だという形にする。
 それも「密室」で行われる。


生活保護を受給中のセクハラ


 生活保護を受けるようになると、ケースワーカーと呼ばれる担当の職員がついて、時々、家庭訪問をするようになる。
 ここでも、たとえば生活保護を受ける女性と、担当職員とが自宅という「密室」で向き合うことになる。
 相手が男性職員で、生活保護女性の側に性的な関心があったりすると、今回の古河市の職員のような事件が起こりうる。
 かつての私の取材メモにも同じようなケースが記されている。
■「ケースワーカーから身体の関係を求められました」
■「家庭訪問に来た職員にレイプされてしまいました」
■「嫌と言うと生活保護を打ち切られてしまうと思い、言われるがままにしました」
■「月に一度の家庭訪問のたびに『旦那がいないなら身体が寂しいだろう』などと言って身体に触ってきて、最近は特に用事がなくてもやって来ます」
 これは女性たちにとって生活保護を受け続けることができるかどうかが、ケースワーカーという職員の「さじ加減」にゆだねられているから起きる。
 女性たちは「生殺与奪」のすべてを担当の職員に握られてしまっている。
 事実上、職員の側が「絶対的な権力」を持っている。
 ここでも「辞退届」という本来は行政の手続き上、定めのない存在が強要され、幅を効かせているからこそ、セクハラ職員のいいなりにならざるえない背景がある。
 生活保護を引き続き、継続できるかどうか。
 それは本当は「さじ加減」などではなく、収入の計算などでドライに判定されるべきだ。
 今でも法律上はそうなっているのに、実態はまったくそうなっていない。
 担当職員から辞退届の用紙を示されたら、弁護士にでも相談していない限り、書かざるをえないものだと考えるのが一般の人間だろう。  生活保護を受給する女性たちをセクハラから守る、ごく簡単な方法
 それは水際作戦をなくすことだ。
 生活保護にかかわる手続き、特に申請、廃止においては、行政の手続きとして「可視化させること」、申請や不服申し立てなどの「手続きを保障」することだ。
 それだけで大きく変わる。
 「相談」や「辞退」などという曖昧で非公式なプロセスが蔓延するから、職員が受給女性の「絶対権力者」として振る舞うようになる。
 職員が恣意的に権力を振りかざすことができないようにすればよいのだ。 
生活保護女性にセクハラ」。
もうこんなニュースは終わりにしてほしい。

超多重人格について

 神経症を効かしているものは葛藤か外傷かという問題もありますが、葛藤は内的な傷つけ合いと考えてもいいと思います。心の中で傷つけ合っている一つの体験です。外傷を内在化internalizeしていると考えてもいいと思います。外傷神経症はinternalizeできないものがむき出しで出ている、あるいは言語以前の世界の体験としてあるのです。そういう形では内的葛藤にはなりません。もっとも、超多重人格が正常であり人格の数が少ないものが多重人格であるという説があります。小説家ではプルースト精神科医では晩年のサリヴァンが、対人関係の数だけ人格があるのではないかと言っています。彼のお母さんはいつも家では心気的で憂鬱な人だったけれども、弟のところへ遊びに行くと快活で、ジョークは言う、ポーカーはやるという母親だったことが原体験ではないかとペリー女史による伝記にあります。
 私の考えを述べますと、私たちの人格の現れはさまざまな形をとりますが、これを超多重人格と呼んでそれを操作している主体を考えるよりも、対象にアフォードされて形づくられるアフォーダンスの立場で考えたほうが自然だと私は思っています(中井久夫統合失調症とトラウマ」『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年(初出2002年)、p144)。


*ここまで話を広げると、自然科学の問題というよりも宗教的信念の問題だと思います。キリスト教文化ではなく、倫理学者の相良亨のいう、日本的な「自然(おのずから)形而上学」を内面化して共有しているせいか、私は中井さんに賛成です。

木嶋佳苗被告とPTSDの発見困難

―「女になった私が売るのは自分だけで/同情を欲した時にすべてを失うだろう」(椎名林檎『歌舞伎町の女王』)


 一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートを取り、訪問(アウトリーチ)しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通ある。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで「外傷患者であることを秘匿する」(「」部原文ルビ)。
 PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。(中略)
 しかし患者の側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密に土足で踏み込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。
(中略)
 第三の問題として、意識化しやすい症状としにくい症状とがある。(後略)(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年(初出2000年)、pp.96-97)。


*私は、死刑判決を受けた木嶋佳苗被告は、幼児期性的虐待に起因する解離性パーソナリティ障害(俗にいう多重人格)ではないか、と疑っています。しかし、それは少なくとも「発見困難」でしょう。PTSD治療に熟達した精神科医によって精神鑑定が行われることを希望します。