新宗教の衰退とジェンダー問題ー大本の事例からー

愛知学院大学文学部紀要54号(2025年3月刊行)

 

<題名>「新宗教の衰退とジェンダー問題-大本の事例から-」

<著者>熊田一雄(文学部宗教文化学科)

<Title> The Decline of Japanese New Religions and the Problems of Gender―from an Example of Omoto―

<Author> Kazuo KUMATA(Department of Religious Culture, Faculty of Letters)

 

 

<要旨>

 1970年代以降、第3期までの新宗教(1960年代までに教勢の拡大を終えた新宗教)の教勢の衰退が目立つ。従来、これは社会の個人化の進展と結びつけて説明されてきた。しかし、ジェンダー問題もまた大きく関与しているのではないか。本稿では、教勢が衰退しない大本の例を取り上げてそのことを論じる。大本は、開祖の出口なおが母系継承と定め、そのことの「意図せざる結果」として家族において妻に夫に対する対等な発言権が保障されている。そのことが今なお大本の教勢が衰退しない理由のひとつではないか。

 

 

<キーワード>

ジェンダー問題/大本/母系継承/二代教主・出口すみ/賢妻良母

 

 

―夫婦は一体であるが、家庭という団体のなかでは、夫唱婦随が原則である。これが犯されると統一がみだれる。もちろん、妻の提言を、夫が心から同意して採り上げることは、決して、この原則に反するものではない(大本教学編纂所(編)1967年(2018年改訂)、p184)。(1)(2)

 

 

<本文>

 1970年代以降、第3期までの新宗教(1960年代までに教勢の拡大を終えた新宗教)の信者数が減少しているのは、周知のとおりである。第4期新宗教(70年代以降に教勢を拡大した新宗教)の信者数を考慮に入れても、1970年代以降、新宗教は全体として衰退期に入っている。このことは、従来「社会の個人化」と結びつけて説明されてきた。

 

 (前略)さらに、なぜそれ(熊田注―教団形成)が困難になってきたかといえば、世俗生活(一般社会)の道徳的秩序やそれを土台とする親密な人間関係が築く(守る)に足るもの、守りうる(築きうる)ものと感じられなくなってきたからだろう。いいかえれば、情報化が進み、社会構造がますます複雑化・多様化し、人間関係の機能化が進んだために、人と人との絆が弱まり、それを反映して個人主義的な考え方が広まってきたということである(島薗2001、pp.35-36)。

 

 私は、社会の個人化の進展が教団宗教の(全体としての)衰退を招いている、というこの説を決して否定しない。社会の個人化は、確かに大きな要因だろう。しかし、それだけだろうか。私は、新宗教の衰退には、「男尊女卑が根強い」というジェンダー問題も関係していると思う。例えば、社会の個人化だけが新宗教の衰退の原因だとすれば、社会の個人化を先取りして信者に対する拘束が比較的緩い生長の家PL教団のような都市型教団は、比較的信者が減らないはずである。しかし、現実にはこれらの教団は信者の減り幅の最も大きな部類に属する(cf.寺田2023)。

 

2.大本の母系継承と「意図せざる結果」

 第3期までの新宗教が軒並み衰退していくなかで、1970年代以降50年間信者数の横ばいが続いている数少ない教団に、大本(1892-)がある。大本の事実上の分派である生長の家世界救世教と比べると、相違が歴然とする。

 

      1974   1981   1989    1999   2016    2023

大本   153,397  168,105  172,461  172,335  167,604    164,940

 

生長の家 2,375,705 3,733,239 821,998*   853,600  459,531   327,369

世界救世教661,263  821,202  835,756  835,756  604,015   454,927

(*信徒数の数え方を変更した)

PL教団 2,520,430 2,714,982 1,812,384  1,133,833 818,467    646,368

 

 大本は、日本の伝統組織には珍しい母系継承の教団である。母系継承は、教団の早期に開祖・出口なお(1837-1918)が定めたものである。なお自身は前半生には「夫に仕える良妻賢母」として生き、なおには、「男女平等のため」という意識は少なくとも直接にはなかったようである(大本本部2024)。

 

 この世がすっかり暗闇になって水晶の種がなくなってしまったら、このままでおいたら此の世は泥海になるより外はない。今度水晶の種を地の高天原に授ける。それは木花咲耶媛命(このはなさくやひめのみこと)の御霊である。大本は代々女のお世継、末代女のお世継とする。男を世継ぎにしておくと目的を立てるものが現れて仕組み(しぐみ)の邪魔をするから、七柱の大神が代わるがわる女と生まれて世をもつのである」(出口すみこ1955年、p242)。

 

  なおが大本を母系継承としたのは、男を世継ぎにすると教団に内紛が生じるのを警戒したからのようである。

 

 大本のもうひとりの教祖である聖師・出口王仁三郎(1871-1948)も、同時代の第1波フェミニズムに対して批判的な見解を示している。

 

 ゆえに人は妻帯するに先立ち十二分の注意を払わねば後日、臍(ほぞ)をかむとも及ばざる悔いを残すに至り、一生涯不快なる地獄的生活を送らねば成らなくなって来るのである。第一麻柱(あなない)の教えの腹に納まっている女でなければ駄目である。現代の教育を受けた新しき女とか、モガ女(熊田注―昭和初期の造語、モダンガールの略)なぞを女房にしようものなら、それこそ大騒動で一生泣き暮らしをせなくては成らぬようになる。ゆえに自分はいつも信者同士の結婚を奨励してやまないものである(出口王仁三郎1929年=2020年、p256)。

 

 表面的には、王仁三郎は当時の時代風潮に歩調を合わせて、明治中期から勃興し始めた「近代家族」の家族倫理を説いていたように見える。「男女同権」と題された文章では、「男女同権は神の定めたもうた規則である」(「女が先に湯に入ってわるいという理由がどこにあるのか」)ときちんと説きながら、同時に「むろん夫婦となった男女は針と糸の道理、すべて夫をさきにすべきことは申すまでもない」と、今日まで続く「夫唱婦随」を説いている(上田2005;出口王仁三郎1998-1999年)。

 

 

3.「賢妻良母」と強い発言力

 このように王仁三郎がフェミニズムに批判的であったにもかかわらず、「母系継承」と定められているので、「教祖」出口王仁三郎といえども、妻である「二代教主」(出口なおの五女・末娘)出口すみ(1883-1952)の言うことには耳を貸さねばならないことになった。

 

 【早瀬】大本には独特の教主観があるように思います。例えば、あるとき王仁三郎は信者に向かって、大本は教主が一番であり、教祖である自分であっても教主が言うことには従わなくてはならないと言っていました(早瀬、2007=2011年、p382)。

 

 出口王仁三郎と妻・すみの関係性について、歴史学者上田正昭は次のように記録している。

 

――大本は聖師(熊田注-出口王仁三郎)と開祖(出口なお)のふたりの力でできあがったと一般には思われていますが、二人の間の二代出口すみの存在も重要であったと聞きます。いかがでしょうか?

「それは当たっていると思います。フォローと言いますか、補完する役割を果たされたと思います。二代教主のことはよく『大地の母』とたたえられますが、この言葉の名付け親は私(上田正昭京大名誉教授・歴史学者)です。母性が豊かで、一方の聖師は天衣無縫、言いたいことをそのまま言われる。二代教主はそれをカバーしておられましたね。小幡神社(聖師は小幡神社の氏子になる)に来られた様子を傍らで見ていましたが、聖師が信者さんと応対されて、二代教主が『それはちょっと言い過ぎよ』と注意しておられるんですよ。また聖師はあるとき、『小幡の大神のご神像はわしとそっくりやで』と言われたんです。ところがその神像はちっとも似ていないんですね。それで返答に困っていると、横から二代教主が『正昭さん、勝手なことばかり言って堪忍してや』と言われました。これは一例ですが、絶えず補完しておられましたね。二代教主は昭和二十七年三月に無くなられますから、聖師が亡くなって四年ばかり後ですね。その間陣頭に立たれたのが二代教主ですね。全国各地の巡教へも自ら先頭に立たれました。

 第二次大本事件の歴史を見ても、二代教主は泰然自若として応対されている。『大本七十年史』編纂の際、弾圧を受けられた信者さん方に聞き取り調査をしたのですが、二代教主は悠然とされていた。そういう方です。

 それから谷川徹三という法政大学の総長と私は親しかったんですけれども、あの方は哲学者ですが、晩年、美術評論もさかんに書いておられました。二代教主を激賞なさっ ていましたね、スケールが大きいと。あの書かれた字(書)もすごいと。私も同感です。獄中で詠まれた『ぼっかぶり(ごきぶり)のうた』などにも二代教主の人柄がよく出ています。大本に関する報道では出口なお開祖と王仁三郎聖師が目立っていますが、私は二代教主が果たされた役割は非常に大きいと思っています」(早瀬、同上、pp.296-297)。

 

 王仁三郎は妻・すみの意見を取り入れていたようである。なお、王仁三郎研究は多数存在するが、妻であったすみの研究は、ジャーナリストであった早瀬の本一冊きりである。宗教研究が男性中心主義であったひとつの証拠であろう。このように、なおが大本を「母系継承」と定めたことは、「意図せざる結果」として、王仁三郎の妻・すみの夫に対する発言力につながったと言えよう。

 上記のような「大地の母」と呼ばれたすみの、国家の求める「良妻賢母」の枠に収まらない「強い女性」としてのパーソナリティには、すみの生い立ちも関係していたと思われる。すみの少女時代は、「男八兵衛」とあだ名をつけられる大変なわんぱくで、よく近隣の男の子にケンカを売っては泣かせていた。なおは、五女のすみには「女の子らしくしなさい」という躾をしなかったようである。また、すみは貧しさのために少女時代から奉公に出ており、国家の良妻賢母教育を受けていない(出口すみ『おさながたり』(天声社、1955年)。「男八兵衛」と呼ばれるわんぱくであった「にもかかわらず」後年「大地の母」と慕われるようになったのではなく、「男八兵衛」と呼ばれるわんぱくであった「からこそ」、後年「(男勝りの)強い」「大地の母」になったのだと考えられる。(3)

 大本では、女性役割について今日に至るまで国家の用いた「良妻賢母」という表現を用いないで、「賢妻良母」という表現を用いる。このことも、大本が国家ほどには母性を重視せず、むしろ王仁三郎とすみの夫婦に典型的に見られるような夫婦間の親密な関係を重視していたことと関係があるだろう。

 

 

4.女性信者へのインタビュー

 ここまでのような問題意識に基づいて、筆者は2023年7月8日(土)、13時30分から大体15時まで、天恩郷(大本本部・亀岡宣教センター)にて、大本教学研鑽所の全面的なご協力を得て、教学研鑽所が選んだ5人の女性信者を対象として、インタビュー調査を行った。5人の女性インフォーマントのなかには、大学でジェンダー論を専攻しオーストラリアに留学体験もある女子学生とその母親も含まれていた。インタビュー方法は半構造化インタビューで、事前に「大本が母系継承であることを意識しているか」「『良妻賢母』ではなく『賢妻良母』ということを意識しているか」「聖師夫妻の夫婦関係は聖師夫妻だからできたことか、それとも一般信者も見習うべきことか」「DVの問題をどう考えるか」というようなことをご質問したい、ということをお知らせしておいて、当日はディスカッションの形でひとりにひとりお答えいただいた。

 インタビュー終了後、間もなく私なりにインタビュー結果を分析した小レポートを教学研鑽所に送り、研鑽所がそれをインフォーマントに配布して、さらに率直な感想を書いていただいた。インフォーマントたちは研鑽所主幹の斉藤泰氏が感想をまとめた上で私に送る、というつもりで感想を書かれたが、斉藤泰氏の「率直な感想のほうがいいだろう」というお計らいによって、各インフォーマントが書いた感想をそのまま私に送ってくださった。このような調査のプロセスを経ているので、インフォーマントが教団の選出した5人と少ないながらも、かなり「深い」インタビューが出来た。

 「大本が母系継承であることを意識しているか」という問いには、インフォーマント全員が「全く意識していない」という回答であった。「『良妻賢母』ではなく『賢妻良母』ということを意識しているか」という問いには、全員が「ほとんど意識していない」と回答し、「夫婦関係については、教団内ではむしろ『夫唱婦随』という表現をよく使う」という回答があった。

 斉藤泰氏が、「夫と妻は針と糸」という説明をし、「あとに残るのは糸だけ」と補足説明をすると、インフォーマント全員が微笑んでいた。「『夫唱婦随』といっても、実際は妻が夫を動かしているのでしょう?」と私が尋ねると、インフォーマント全員がやはり微笑んでいた。「(結婚当初は)夫唱婦随だから、なんでも(夫に)言われるとおりにしなければ、と思っていたが、間もなく言いたいことを言ってもいいのだと気づいた」というインフォーマントもいた。

 「聖師夫妻の夫婦関係は聖師夫妻だからできたことか、それとも一般信者も見習うべきことか」という質問に対しては、現在の大本信者の間では、聖師・出口王仁三郎に対する尊崇の念が強い。インフォーマント全員が「一般信者も見習うべきこと」という回答であった。聖師夫妻の、妻に発言力を保障している夫婦関係が、現在の信者にとっては夫婦関係のモデルになっていることがうかがわれる。

 「夫の浮気やDVの問題をどう考えるのか」という問いに対しては、「浮気よりもDVのほうが深刻な相談ごととして持ちかけられることが多い」という回答があった。「『一夫一婦制』は『神の定めたこと』であり、DVは夫婦の信頼関係を壊しているのだから全く許容できない。離婚すべき」というのがインフォーマントたちの回答であった。ちなみに大本では「結婚は2回までしてもよい」とされており、「教団内には離婚して『再婚した』女性も珍しくはない」という回答もあった。

 筆者の書いた小レポートに対する感想のなかから、筆者の印象に残った言葉を挙げる。「少なくとも私の周り(主に30代後半)の夫婦を見ると、妻の夫に対する発言力が弱いケースというのは少数派だと思います」やはり、大本は少なくとも若い世代に対しては、夫婦関係において、妻に強い発言力を保障しているようである。

 「インタビューの後にお伝えすれば良かったなぁと思ったお歌があります。『家の内豊かに平和におさまるも妻の心のかぢ(熊田注―舵)一つなる』この聖師さまのお歌は私の一つの指針となっていて、私の持つ賢妻良母のイメージです」。このインフォーマントの場合、「家内の私的領域は『妻の領分』」と位置づけていることがわかる。

 

 

5.減らない大本、減っていく生長の家世界救世教

 本稿の冒頭に述べたように、新宗教全体が衰退期に入った1970年代以降、大本は信者数が減らないという点で珍しい教団である。この点は、大本の事実上の分派である生長の家世界救世教における信者数の減少と比較すると明らかである。

 1970年代以降も大本の信者数が減少しない理由として、島薗は信徒が葬祭、すなわち葬儀や追悼儀礼を大本式で行うのが通例だという背景がある、としている。神道系の教団の場合、葬儀や追悼儀礼をその教団のやり方に変更することを「改式」という。大本は入信者に改式を求める。つまり、家の宗教にもとづく従来の葬儀や法事をやめて、新しい祭式のやり方に変える。具体的には従来の仏壇を廃棄して、神道式の祭壇を設ける(島薗2020年、p253)。

 確かに、死者祭祀を伝統仏教に委ねないで独占している、という点は大きい。しかし、信者が減らない原因がもしそれだけなら、同じく死者祭祀を独占している創価学会も信者が減らないはずである。創価学会では、仏壇を従来の家の宗旨のものから、創価学会式の本尊を祀った仏壇に取り替える。「謗法払い」とよばれていた。しかし、公明党参議院比例代表選挙の得票数を見ると、2010年の763万票から2019年の653万票へと9年間で110万票、およそ15%減っている(島薗、同上、pp.252-253)。信者の減少が始まっていると推定される。

 筆者は、第3期までの新宗教が衰退している大きな理由は、社会の個人化に加えて、ジェンダー問題にあると考えている。1960年代までは社会に適合的であった「近代家族」(夫は企業の正社員、妻は専業主婦、子どもは2~3人の核家族)の家族倫理からの脱却に、多くの教団が失敗しているのではないか(cf.寺田2023年)。(3)

 いったん若い世代の入信が止まり教団の高齢化が進むと、悪循環に陥り、家族倫理のモデル・チェンジはますます困難になる。その点大本は、二代教主・出口すみの存在が大きく、教団を母系継承と定めたことの「意図せざる結果」として「妻の発言力」を保障しており、それが今なお信者が減らない大きな理由ではないか。ちなみに、生長の家では、「男と女は、陽と陰」と説き(寺田2023年)、世界救世教では「男女合権論」(同権論ではない)を説き、基本的に「男と女は6と4」と位置づけている(奥田、1995年)。現状では、あきらかに「男らしさ偏重」(マッチョ)な教えである。

 2010年代に入って、日本社会では「子ども食堂」ブームが起きている。2024年8月時点で全国に既に約9000存在する。新自由主義(小さな政府と市場的競争原理)の浸透に対する、日本社会のレジリエンス(復元力)の現れだと見ている。大本のようにジェンダー問題さえうまくクリアできれば、第3期までの新宗教(教団宗教)にも教勢を維持出来る可能性は、十分にあるのではないか。

 

 

 

 

<注>

(1)大本の基本教義書では、このように「夫唱婦随」に但し書きを付けて妻の発言力を保障し、家父長制を和らげている。しかし、2024年9月時点では、大本のHPでは、「夫婦関係は夫唱婦随」と書いてあるだけで、但し書きは書かれていない(大本HP)。教団内に、但し書きを書こうとすると反対する人もいるのかもしれない。

(2)社会学者の上野千鶴子は、(日本の)戦後の核家族のもとでの家父長制は、「父権支配」というより「夫権支配」というほうがよいかもしれない、と論じている(上野2024、p375)

(3)王仁三郎となおの娘である三代教主・出口直日(1902-1990)も、王仁三郎が男の子を望んでいたこともあり、少女時代は剣術を趣味とする「男のような女の子」であった(出口直日2002、p144)。

(4)私は、大本の信者が新宗教衰退の時代にも減らないことを、ジェンダー論に還元して説明したいのではない。ジェンダーは、信者が減らない一つのファクターにすぎない。ただ、従来の大本研究では、二代教主・出口すみに始まる「強い女性の伝統」が無視されていたので、その点に注意を促したいのである。

 

 

<謝辞>

 本稿のもとになった調査は、大本教学研鑽所の全面的なご協力によって可能となった。大本教学研鑽所と主幹の斉藤泰氏、および忙しい時間を割いてインタビューやレポートに応じていただいた大本のインフォーマントのみなさまに深く感謝したい。

 

 

<参考文献>

上野千鶴子「解説」アンジェラ・サイニー『家父長制の起源』集英社、2024年(原著2023年)

上田正昭(監修)・出口王仁三郎言行録刊行委員会(編)『「みろくの世」―出口王仁三郎の世界―』天声社、2005年

大本教学編纂所(編)『大本の教え―改訂版―』天声社、1967年・2018年改訂

大本本部(編)『大本開祖伝―出口なおの生涯―』天声社、2024年

奥田暁子(編著)『女性と宗教の近代史』三一書房、1995年

島薗進ポストモダン新宗教現代日本の精神状況の底流―』東京堂出版、2001年

   『新宗教を問う―近代日本人と救いの信仰―』ちくま新書、2020年

出口王仁三郎出口王仁三郎著作集1-8』(復刻版)、天声社、1998-1999年

『新訂版 東北日記 八の巻』天声社、1929年・2020年改訂

出口すみこ『おさながたり』天声社、1955年

出口直日『こころの帖』天声社、2002年(初出1968年)

早瀬圭一『大本襲撃―出口すみとその時代―』新潮文庫、2007年・2011年文庫化

 

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大本ホームページ(四大綱領)

2024年9月25日アクセス

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寺田善朗『家族と新宗教PL教団生長の家の女性指導を中心に―』、2023年

2024年8月26日アクセス