気/こころ/たましい

 日本語で「こころ」と呼んでいるものは、傷はついても病むものではなさそうであり、「気」中心のビヘイヴィアより「こころ」中心のビヘイヴィアのほうが、余裕とうるおいのある「こころ」やさしいもののように思われる。この辺りはもう少し考えてみたいが、「こころの病」という言葉に慎重でありたいという冒頭の言(熊田註;周囲の人に“こころがけが悪いからなる病気だ”ととられる危険性があるという意味)をくり返して終わる(中井久夫『精神科治療の覚書』日本評論社、1982年、p.253)。


 精神科医中井久夫氏が上記の文章を書いてから30年経ち、「こころを病む」という日本語表現は、完全に日常表現になりました。日本社会で「医療化」(medicalization)がそれだけ進行したということでしょう。現代の日本社会で「病む」ことがないのは、もう「たましい」くらいではないでしょうか。