小森陽一による村上春樹批判

 小森陽一村上春樹論ー「海辺のカフカ」を精読する」(平凡社新書、2006年)を読了しました。マルクス主義の立場からの村上春樹批判で、極端な議論だけれども、村上春樹さんの作品における「女性嫌悪ミソジニー)」の問題を考えるヒントにはなります。


 事実、カフカ少年は大島さんに、「父は自分のまわりにいる人間をすべて汚して、損なっていった」と訴え、「父はそういう意味では、特別ななにかと結びついていたんじゃないかと思うんだ」と言います。それに対して大島さんは、「そのなにかはおそらく、善とか悪とかいう峻別を超えたものなんだろう。力の源泉と言えばいいのかもしれない、という解釈を与えます(上・350ページ)(小森2006;p.245)。


 『海辺のカフカ』を読んで<癒し>を感じたあなたにわかっていただきたいのは、ブッシュ政権が、世界中の言葉を操る生きものとしての人間を騙そうとする言語戦略と、『海辺のカフカ』のテキストとは、驚くほどに相同性と相似性を持っているということです。世界中の多くの人々が、「戦争」の始まる前から、イラク戦争に反対しましたが、暴力の連鎖を止めることはできませんでした。その欲求不満=フラストレーションを、記憶の消去と歴史の否認、精神的外傷(トラウマ)を<解離>によってなかったことにして、空虚であることを<いたしかったなかったこと>として容認する、そのような<癒し>の効果を『海辺のカフカ』は世界中にもたらしうるのです。それがはたして、言葉を操る生きものとしての人間にとっての心の平穏なのでしょうか(同上、p.273)。