総力戦の終結と太宰治の自殺

 食べるものもほとんどなく、たえず生命の危険にさらされていたあの頃(熊田註;太平洋戦争時)を考えると、一見不思議に思われることがある。それは、患者さんの間にノイローゼがほとんどなく、自殺もきわめて少なかったことである。また看護婦さんたちも、年若いのに、故郷や身内の者をはなれて、あぶない東京にふみとどまり、懸命に働いていた。そのいきいきとしたけなげな姿にはげまされたからこそ、私もまた家が爆撃され、家族みなが疎開しても、ひとり精神病棟内の一室に住みこんで終戦を迎えたのであった。
 社会的な非常事態のときは、自殺が少ないのはなぜだろうか。いろいろな説明がありうるであろう。考えつくことの一つは、こういうとき、人間はただ生きぬくために、あらん限りの力をふりしぼらなければならないから、自分で自分の生きる意味など問うている余裕がないためではなかろうか。また、看護婦さんたちの場合には、使命感が大きくものを言ったのにちがいない。使命感は自殺防止の最大の力のひとつであると信ずる(神谷美恵子「自殺と人間の生きがいー臨床の場における自殺」『旅の手帖より』みすず書房、1981年、pp.111-112)

 評論家の吉本隆明は、『悲劇の解読』(筑摩書房、1979年)において、太宰治(1909-1948)の秀作が戦争中に集中していることを論じて、戦後すぐに太宰が自殺しなかったのは、戦前と違って、<負の十字架>にかかって倒れようと意志したからである、としています。太宰治の秀作が戦争中に集中しているのは、「自分で自分の生きている意味を問うている余裕がな」かったためでしょう。戦後すぐには自殺しなかったのは、「使命感」のためでしょう。