天理教と東大宗教学(2)

 以前、天理教の二代目真柱(=教主)・中山正善(1905-1967)による教典編集の功罪について書いておきました。 
 http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20080307

 ここでは、同じ問題を、中山正善が東大文学部宗教学科在学中に師事した、東大の宗教学講座の初代教授・姉崎正治(1873-1949)の宗教観との関連という点から見ます。姉崎は、天理教の「道徳の教理」を評価する一方で、「粗末なる美的感情」を批判していました。
 高橋原によれば、姉崎は、1898年に刊行された「比較宗教学」の中で、宗教的感情が「宗教的機能の暗中支配者」として知をして宗教的写像、宗教的世界観を結ばしめ、意志的行為を結実させる(「日本の宗教学 第一集 姉崎正治」第1巻、クレス出版、2002年、p37)、とする一方で、美であれ、性欲であれ、特定の要素が極端に亢進または減退すると、(知・情・意の)三者のバランスが崩れ、宗教が変態し、病態を呈することになる、としています(高橋2002)。姉崎の枠組みによると、宗教は心理現象であるが、社会的現象として歴史に現れる中で発達していきます。そして、まさにその社会との接点において病態を呈するのです。聖母崇拝、盆踊り、生殖器崇拝などが「症例」として言及され、天理教が「最も粗末なる美的感情に耽る者」と負の評価を受けています。
 しかし姉崎は、同じ1898年に発表された「宗教 明治三十年史」(「日本の宗教学 第一集 姉崎正治」第9巻、クレス出版、2002年所収)の中で、東大の哲学者・井上哲次郎(1856-1944)による「教育と宗教の衝突」論から五年目に当たるが、姉崎は岳父となったばかりの井上の論を肯定的に紹介したうえで、仏教界の対応を批判し、キリスト教の反省自覚を評価しています。天理教の「道徳の教理」が評価されていますが、「東北遊紀余録」での「正直」の評価とともに、最初期の天理教評価です。「天理教について」(1949)という最晩年の文章でも、教理と体験を兼ね備えたものとして天理教を高く評価しています。姉崎は、1926年に天理教二代目真柱の中山正善が東大宗教学科に入学して以来、天理教と関係を深め、天理図書館建築に関わり、蔵書千数百冊も寄贈しています。姉崎は、1947年に天理語学専門学校での講義中に倒れて以降、亡くなるまで熱海の中山の別荘で過ごしています。上述の「明治三十年史」以来、姉崎は概して天理教には好意的でした。
<参考文献>高橋原「姉崎正治集 解説」『日本の宗教学 第一集 姉崎正治』第9巻、クレス出版、2002年
      http://www.k4.dion.ne.jp/~httt/anekaisetsu.html/

 このように、姉崎が天理教の「道徳の教理」を評価する一方で、「粗末なる美的感情」を批判していたことは、中山正善による教典編集に大きな影響を与えたように思われます。