内なる辺境

(前略)だが、いくらぼくでも、そんなこと(熊田註;1910年頃、カフカジョイスプルーストの登場)くらいで、国家が死滅すると考えるほど甘くはない。文学に出来ることと言えば、せいぜい国家の自家中毒症状を早めてやるくらいのことだ。それでも、手をこまねいているよりはましだろう。せめて、一切の「正統信仰」を拒否し、内なる辺境に向かって内的亡命をはかるくらいは、同時代を意識した作家にとっての義務ではあるまいか(安部公房「内なる辺境」『内なる辺境』中公文庫、1975年(初出1968年)、p175)。


*その後、グローバル化の急速な進展、特にIT革命によって、「国家の自家中毒症状を早めてやる」ことは、ずっと容易になったと思います。