嗜癖としてのリストカッット

 リストカットなどの苦痛希求行為も嗜癖である。これは苦痛嗜癖ではない。苦痛を希求しているかに見える行為の下にあるのは、まだコトバに馴染まない悶え・模索の気分である。強いて言葉にすると、「確かな感触の、いま・ここの自分」を得たいという要求である。おそらく、苦痛や不快は「確か」という感触をともないやすく、快感は、なにか不確かな雰囲気をともなうものだからであろう。苦行などの修業を例にとってもよいが、それよりも、風呂の熱すぎぬるすぎのの判断はしやすく、良い湯加減の判断は不確かになることを例とするのがよいだろう(神田橋條治『精神療法面接のコツ』岩崎学術出版社、1990年、p236)。


*先駆的な考察だと思います。