「入信即布教」を再考する

1.これまでの宗教社会学的説明
 仏教・キリスト教イスラームでは、布教伝道において聖職者が中心的な位置を担うが、近代になると民衆自身が主要な担い手となる救済宗教が登場する。日本の新宗教はその例としてあげられる。これは民衆自身が布教などに自発的に参加する信者参加型の組織や実践形態を持つもので、信者即布教者となり、大衆的な布教が行われる。入信即布教といわれるように、入信後の早い時期から他者を導く働きかけ、すなわち布教が当人にとって救済の重要な要件ともなっている。これは単に教勢の拡大をもたらすばかりではなく、未信者に対して教えを説明し、説得する過程で、信者自身が信仰共同体に定着していくことになる。また、入信への導き手のみならず、同信者同士のサポートネットワーク(組織)が新規入信者の定着を促す(渡辺雅子「布教・伝道」星野・池上・氣多・島薗・鶴岡(編)「宗教学事典」丸善、2010年、p254)。


2.かつての天理教
 「かつては『入信即布教』と言われ、教校別科をおえたばかりの人たちが、もっぱら十全のご守護と八つのほこりの教理を頼りに布教に出向いたと聞くのであります。」(天理教真柱(教主)の2010年秋季大祭における神殿講話より)


3.かつての霊友会
http://kusunoki-tsushin.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-4d2e.html より転載
霊友会在家仏教こころの会の会員の方へ くすのき通信2011年10月号より


故小池文子第五支部長が霊友会に入会されたころ(昭和9年ごろ)のお話しを続けさせていただきます。
(小池文子著「三界に家なし」より)
離婚して二人の幼子とともに実家に帰り鬱々と暮らしていたところ、久保恩師、小谷恩師にめぐりあい霊友会の教えに触れて心にポッと灯がともった。久保恩師からは、商売繁盛や病気治しの信仰ではないと教えれられていたが、実際にやり始めると料亭の家業も繁盛しだし、仲たがいしていた親戚ともうまくいくようになり、長年患っていた頭痛も消えた。しかもこの信仰は、お布施もなく会費もない(当時まだ会費制はなかった)まったくの只、おもしろいように導きができて入会した翌年には支部を拝受した。
(自宅には)一日中誰かしら会員が来ていた。お経をあげる人もいれば、相談事、信仰の上での指導を仰ぎ来る人もいる。重病人をかついでくる人もある。瀕死の病人を何とか助けてくれなどと担ぎ込んでくるのであった。…
身体があけば会員とともに導きにでる…先祖供養の話をする、みんな打てば響くようにこたえてくれて、どんどん導けた…(多くの見ず知らずの人にこの教えをすすめてまわり、そういう人々の話をいろいろときかせてもらうと)世の中には、なんとさまざまな苦しみ、悩みがあるのだろうと我が身を顧みることが多かった。
導きのついでに会員の家を回ることもあった。下(しも)の病気で動くこともできない女性にお経の上げ方を教える…見かねて洗濯や掃除などを手伝ってあげることもあった。何回か通ううちによくなり、ともに喜びをわかちあう。導いた人が幸せになることは、私の幸せであった。…日に日に、みんなが幸せにならなければ私も幸せでない、という思いを深くした。
私にはもう、くよくよと自分の来し方などを思い出したりしている暇はなかった。あとからあとから片づけなければならないことが出てきた。いつでも導いた会員の身の上を案じ、考え、助けてやらなければならなかった。…
…それはまた充実した生の日々であった。わだかまりなく他人と接し、言葉を交わし合い、真実をぶつけ合う…、会員同士のつきあいというものは、そういうものであった。見栄や虚栄をかなぐり捨て、裸になってお互いに切磋琢磨していくのが霊友会の信仰者としての生き方であった。私がそれまで知らなかった痛快な生き方であった。かつて小心翼々とした生き方しか知らなかった私には驚異ですらあった。

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小池支部長が綴られた、このご自身の体験のお話をみなさんはどうお読みになるでしょうか。
霊友会の信仰をしていない人が読めば「ともに喜びをわかちあう」「導いた人が幸せになることは私の幸せであった」「みんなが幸せにならなければ私も幸せでない」こんなことはとても素直に信じられないのではないでしょうか。何か見返りがあるからやっているに違いないと思うのが普通でしょう。うさんくさい偽善者と思われるかもしれません。
しかし霊友会をやっている人なら、これが当たり前だということに、何の説明もいらないと思います。
わたしどもの支部長の家にも朝昼晩と時を選ばす、毎日いろいろな悩みごとを抱えた方々が相談に来られていました。支部長は、そういう人たち一人ひとりの話を聞いていろいろとアドバイスをするだけでなく、実際に問題を抱えた会員とともにその解決に駆けずり回ることもしょっちゅうでした。そういう時にも交通費も諸経費もすべて自己負担です。
困っている人には住むところから職さがしまで手伝ってあげる、大きな困難にぶつかっている会員がおられれば、なんとか道がひらけるようにと、毎朝水垢離をとり懸命に念願する。しかもここまでしたからといって何の見返りもないのです。大勢会員が増えて支部長になったからといって本部から手当てが出るわけでもなし、かえって責任だけは重くなる。そんなことをなぜ一生懸命やるのか、そばで見た人でないととても信じられないのではないかと思います。
しかし、そういう、それが、見ず知らずの他人であっても、縁あって出会った会員の悩みを聞いてあげ、親身になって手助けし、何の見返りも求めず、ただその人の幸せを願って一生懸命行動する、そういう人たちが何千何万と霊友会にはおられることを後年知りました。
もちろん私どもの支部長も含め、そういう人たちも最初は、それぞれ何かの問題を抱えてそれを何とか解決したい、なんとか救われたいという一心で、すがる思いで霊友会の信仰を始め、ある意味、現世利益を期待して信仰を始めたかたがほとんどです。しかし、自分の為に、自分の家族の為にと、一生懸命いわゆる因縁解決の修行に励む間に、いつのまにやら他人(ひと)の為に、他人の幸せのために駆けずり回るようになる、それが喜びとなり、生きがいになる。そして小池支部長がおっしゃるように、気が付いたら自分の抱えていた問題を、いつのまにか、くよくよすることもなくなっている。
故大形作太郎第十三支部長は、あるとき身延七面山に参詣の時、久遠寺の本堂で総務の方が次のようなお話しをされるのを聞かれたといいます。
「拙僧はお寺で生まれお寺で育った生粋の僧侶であります。六十余歳の今日まで日夜に法華経をたもってきましたので、常に他人をお導きしようと努力しておりますが、恥ずかしながら今に至るまで一人も化導(衆生を教化して善に導くこと)することができません。ところが霊友会のみなさんは、入会されたそのときから直ちにお導きをなし功徳をお積みになる、私は不思議でしようがない、失礼だが一体素人のみなさんのどこにそんな力があるのか、恐らく霊友会の教義がみ仏そのものであり、それを素直に実践されているからだとしか考えられません…」
無量義経十功徳品に「この経を聞くことを得て、歓喜信楽し希有の心を生じ、受持し読誦し書写し解説し説のごとく修行し、菩提心を発し、もろもろの善根を起こし、大悲の意(こころ)を興して、一切の苦悩の衆生を度せんと欲せば、いまだ六波羅蜜を修行することを得ずといえども、六波羅蜜自然に在前し…」とあります。霊友会の教えを一生懸命行じている人は、日蓮宗の高僧の人にすら困難な大乗の菩薩行を、それとは知らぬ間に立派に実践しておられることになります。霊友会の教と行はまことに奥が深い、そう実感します。