内なる対人恐怖症

 最後に、右の考察をよりどころに対人恐怖的少年たちへの治療ないし対策について少し考えるところを述べてみたい。
 まず、青年期前半の人たちに接する機会のおありの大人たちにおねがいしたい。この年代に同性同年輩者集団からはずれた少年たちは後年の心理社会的発達にハンディをもつかもしれないということについてご理解をねがいたい。もちろん、大人たちが彼らに親友の斡旋をしてやれるわけではない。足らないものを足せばよいというほど、事態は簡単ではない。しかし、内気で自信がないと同時に負けずぎらいで完全主義できっちり屋だというふうに、弱さと強さの両面を内側に矛盾的にかかえこんだ対人恐怖症的青年の心根を察していただけるだけでも、彼らにとってそれがどんなに大きな支えになるか。人間が人間の心根を察するということのもつ治療的な力価には想像以上のものがあるといってよい、と私は思う。それは心理学的にはすこぶる微妙な心理過程だが、ここでは私のよく使う陳腐な比喩でおゆるしいただこう。私が彼を理解することによって何がしか彼の心の平和に資することができたとすれば、ちょうど私は「吸取紙」のようになって彼の不安の幾分かを吸いとり軽減するということだろう。不安が他人と分かちもたれるとき、その分だけその人に自由が還る。自由が還れば、自力で同年輩の友人関係をみつけるチャンスも生まれる、というものだ(笠原嘉『青年期ー精神病理学的考察ー』中公新書、1977年、pp.31-32)。


*現在の生物学化した精神医学が見落としていそうなことです。教員という商売柄、「対人恐怖症」の学生に接する機会は多いですが、彼らは精神科では「社交不安障害」と診断され、抗うつ薬SSRIを投与されるだけか、せいぜい医療機関を探し回って保険適応外で認知行動療法を受けているだけです。