ももいろクローバーZまたは「脱学校化された身体」

 けれども、この「学校的なるもの」が社会全体に浸透しているいま、その(熊田註;「めだかの学校」の)想像を実現するのは不可能だろう。学校の向こうにも試験がある。入社試験のあとも、退職するまで試験は続く。昇進試験、資格試験と「験し」ははてしなく続く。
 「ことばとからだのレッスン」で有名な竹内敏晴さんの『竹内レッスン』を開くと、この「験し」の身体版とでもいうべき話が出てくる。あぐらでも正座でも横坐りでもなく、体育館坐りともいうあの「三角坐り」だ。これは「一九六〇年代のわずか十年間に、なぜか全国の公立の小中学校に一気に広まった坐り方」だという。前屈みで両膝を抱え込んでいるので少ししか息が入らない。いってみれば自発的な行動を封じられた「手も足も出ない」姿勢、「息をひそめている」姿勢である。そのことの意味を問う教員がだれひとりとしていなかったのはどうしたことかと、竹内さんはその本のなかで訴えている。
 学校という場所は、たしかに「国民の養成」のために設置されたのであろうが、他方で、子供たちを出自というそのくびきから解放し、あらかじめ何の「差異」も設定することなしに集団で生活させる場所でもあったはずだ。おおぜいが等しい立場で過ごして楽しくないはずはない。大騒ぎするのもあたりまえである。ところが、いつしか学校は、たがいを験す場所になり、からだの動きを封じ込める場所になっていた(鷲田清一「学校的なもの」『大事なものは見えにくい』角川ソフィア文庫、2012年(初出2009年);pp.180-181)。


*1962年生まれの私は、「験し」の身体版である「三角坐り」を「身につけて」しまっており、呼吸が浅い傾向があります。いま若者に大人気の「会いにいけるアイドル」「週末ヒロイン」ももいろクローバーZの「はっちゃけた」身体パフォーマンス、典型的には「いくぜっ!怪盗少女」でみせるえび反りジャンプは、ポストモダン状況下における「脱学校化された身体」を提示しているのでしょう。


ももいろクローバーに全く興味がない人も応援したくなっちゃう動画」
http://www.youtube.com/watch?v=TmCnKVcY2GY&NR=1&feature=endscreen