軍隊から学校へ

 竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』(ちくま学芸文庫、1999年)を読了。


 最近になって知ったところでは、校舎の(熊田註;木造からの)コンクリート化は、室戸台風(一九三四年)のあとの文部省の通達によるそうですが、宮城教育大学の横須賀薫氏の話だと、明治三十年代以来教室の形と面積はずっと一定して四間×五間と定められていて、校舎は細長く、北に廊下、南に運動場というシステムは全国共通、木造がコンクリート製に変わっても全く変化がないそうです。
 たぶんこれは兵舎の構造に違いない。渋谷の大橋には敗戦まで輜重(しちょう)兵連隊がありましたが、敗戦後軍隊がなくなるとその建物はそのまま各種の学校が入り込みました。そこには何の違和もありませんでした。
 校庭がなぜ運動場なのか? という疑問も、抱き始めると不思議でならない事がらです。校庭は校庭、グラウンドはグラウンドであって、その機能は同じはずがない。欧米では別の場所にあるのが普通です。が、たぶんこれも練兵場の発想なのでしょう(同上、p134)。