無用者との「斜めの関係」

 精神療法家はつねに多少とも叔父的(叔母的)立場に身をおくよう努めているのだと思う。それは父親ー息子の関係に対して斜めだというだけでなく、時代や社会の要精に対しても斜めの、いささか無用者的なニュアンスを必要とする。少なくとも学校嫌いや職場嫌いの治療家たるためには、そういう条件が要るのではないだろうか。この場合の治療家は、説教好きの、権威好きの、自己愛的人間であってはいけないようだ(笠原嘉『青年期ー精神病理学からー』中公新書、1977年、p122)。