梶原一騎のマチズモー大澤真幸氏に対する批判

 『朝日新聞』2012年1月31日号に掲載された書評で、社会学者の大澤真幸さんは、「飛雄馬やジョーはどこにいるのか」と題して、橋本健二さんの著書『階級社会ー現代日本の格差を問うー』(講談社、2006年)を評して、以下のように述べています。


http://book.asahi.com/ebook/master/2012013000004.html?ref=top より転載
 とりわけ、1960年代末期から70年代初頭にかけて当時の若者たちを魅了した梶原一騎の諸作品が、すべて階級闘争を描いているという読解は本書の最大の読ませどころだろう。確かに、『巨人の星』の飛雄馬と花形の対決は階級闘争そのものである(飛雄馬は東京の下町の貧困家庭の出身で、花形は大企業の社長の息子)。『あしたのジョー』の矢吹ジョーと力石のライバルも、やはり階級闘争の線で解釈できる。ジョーは「ドヤ街」の流れ者。力石は少年院の出身者だが、白木財閥の孫娘白木葉子の支援を受けている。つまり、力石とジョーの対決は、体制にへつらった者と反体制を貫いた者の対決なのだ。
 究極の孤立無援の階級闘争を描いているのは、『愛と誠』である。ブルジョアの娘早乙女愛は、幼い頃自分を救ってくれた不良少年の大賀誠を愛してしまう。誠は、崩壊した超貧乏家庭の出身。彼は、自分を愛する早乙女愛に対してとんでもない仕打ちを繰り返すが、愛の恋情は一向に冷めることはなく、彼女の方がどんどん誠に歩み寄っていく。愛は、最後には自分の母親を「ダメなブルジョワ夫人」と罵倒するまでに至る。誠は一歩も引くことなく、孤独な階級闘争に勝ったのである。


 私は橋本さんの分析とそれに対する大澤さんの評価は表面的だと思います。梶原一騎の諸作品は、確かに一見「階級闘争を描いている」かのように見えます。しかし、本当は「階級を超えた男同士の絆(ライバル関係)」を称揚しているのではないでしょうか。『巨人の星』なら飛雄馬と花形の、『あしたのジョー』なら矢吹ジョーと力石の、『愛と誠』なら大賀誠と(ヒロイン早乙女愛を愛する優等生の)石清水弘の「男同士の絆」が称揚されているのであって、『巨人の星』の(飛雄馬の姉で花形と結婚する)星明子、『あしたのジョー』の白木葉子、『愛と誠』の早乙女愛という女性たちは、そうした「階級を超えた男同士の絆」を固めるための脇役であるように思えます。橋本さんや大澤さんにそのことが見えないのは、彼らもまた「マチズモ」(男らしさ偏重)を梶原一騎と共有しているからではないでしょうか。
 大澤さんは、団塊左翼の男性知識人の感性から自由になれないのだと思います。「飛雄馬やジョーはいないのか!」と呼びかける大澤さんに対して、「おじさん、ひなたぼっこの邪魔だからそこをどいてくれませんか?」と言い返しそうな若者たちの感性こそ、真に「革命的」であるということが、理解できないのでしょう。


*参考動画「組曲『もじゃもじゃ動画』歌ってみた」
http://www.youtube.com/watch?v=mnOWcsqxoEs