<祈りの言語>としての謙虚さ

 謙虚さは誰にでも、孤独な絶望者にさえも、隣人に対するきわめて強力な関係を作り出す、しかもたちどころに。ただし完全な、持続的な謙虚さの場合に限るけれども。そうしたことが可能なのは、謙虚さが真の<祈りの言語>であり、同時に崇拝であり、もっとも強固な結びつきであるからだ。隣人への関係は祈りの関係であり、自分自身への関心は<ひたすらな志向>の関係である。祈りから、こうしたひたすらな志向のための力が獲得される(同上、pp.196-197)。


フランツ・カフカが、マックス・ウェーバーの言う近代資本主義の「鉄の檻」に対抗する拠点として、信仰生活を考えていたことがよくわかる文章です。ユダヤ教徒であるジュディス・バトラーの“vulnerability”(「苦難を免れがたいこと」)を通じてこそ人々は連帯できるという考え方も、カフカと同じような発想でしょう。