<武蔵的人格美学>の発見と変容(4)

 その後、たしかに『宮本武蔵』は詠まれなくなった。では、それは修養主義を中心とする「武蔵イデオロギー」の衰えを意味するものであったのか。現代の大学生を対象とするアンケート結果からは、いちがいにそう言い切ることはできなさそうである。修養に関するいくつかの要素(たとえば自力主義や克己心)は衰えているものの、努力を重視するような精神主義的傾向は残っていた。また行動は伴わないものの、修養を求める願望は高いことがわかった。
 これに実際に読んでもらった学生の感想などを加えると、『宮本武蔵』が生き残っていく可能性はあると言えそうである。井上雄彦が原作に共感して、自分なりの武蔵像を劇画という新たな媒体で表現し始めたこと、そしてその作品が受け入れられたことも傍証となる。ただし、吉川版『宮本武蔵』がそのまま昔の形で読みつがれていく可能性は多くはないだろう。現代の学生たちは武蔵の孤独さに違和感を感じ、井上の描く武蔵は他者への共感に満ちている。このように吉川の構築した武蔵像は、井上が今まさに挑戦しているように、それぞれの時代の雰囲気に影響され、その姿を少しずつ変形させながら、残っていくのではないだろうか(櫻井良樹宮本武蔵の読まれ方』吉川弘文館、2003年;pp.212-213)。