<個的領域>としての信仰生活

 庄屋敷村の中山家へ嫁いで居た叔母きぬが、姪の人並み優れた天分を見込んで、是非、伜善兵衛の嫁にほしいと懇望した。両親からこの話を當人の耳に入れた處、生来身體が剰り丈夫でない處か、浄土に憧れ、かねて尼になりたいと思われて居た頃の事とて、返事を渋って居られたが、両親から、嫁して夫に仕えるこそ清浄な婦道である、と、懇ろに諭される言葉に納得して、
 「そちらへ参りましても、夜業(熊田註;よなべ)終えて後は、念佛唱えることをお許し下さる様に。」
との希望を添えて、承知された(『稿本 天理教教祖伝』天理教道友社、1956年、p.13)。

 近代日本における新宗教の多くの女性信者にとって、信仰生活は貴重な<個的領域>だったのかもしれません。