宗教者と被差別民衆

 私は、池田士郎さん(天理大学)が「中山みきと被差別民衆」(明石書店、1996年)で展開しておられる「天理教教祖は全財産を貧しい人たちに施して、自ら被差別に落ちきった」という見解は、間違っていると思います。中山みきが、被差別民衆と「へだてる心」なく交わっていたのは確かです。しかし、みきは、所有していた広大な土地は手放していませんし、「貧のどん底」時代でも、「乞食はささん」と明言し、最低限自活できるだけのものは残していました。だいたい、「自分は被差別に落ちきることもできる」と考えること自体が、エリートの「こうまん」(「増上慢」)ではないでしょうか。