天理教の信仰治療ー「人たすけたら我が身たすかる」ー

 天理教でおたすけを行う際の、「たすかりたい」から「たすけたい」への心の転換には、一種の認知行動療法としての側面があり、それによって、現在の精神医学では不安障害に分類されている、疼痛性障害(心因性の痛み)が治癒することはあると思います。疼痛性障害が治癒したことをきっかけに、他の病気も連鎖的に治癒していくこともあると思います。天理教でいう「人たすけたら我が身たすかる」という教えや「不思議なたすけ」には、十分な「科学的」根拠があると思います。

母娘関係と母殺しの物語

萩尾    完全にそう(母殺しの物語ー熊田注)ですね。萩尾さんの漫画っていつもお母さんが死ぬよねって言われたことがあって、「えっ?」って思ったのですが、そういえばあれもこれもそうだわ、と気づきました。現実で殺せないから作品の中で殺すことにしているんですね、意識せずに(『別冊NHK100分de名著ー萩尾望都NHK出版、2021年、p160)。


*そう、母はフィクションの中では殺さなければならないと思います。

天理教の「ダメもと」医学

 医者もさじを投げるような人がたすかるには、人をたすける心になることが肝要だと思います。たすかりたいから、たすけたいへと心が変わるなかで、ご守護を頂く。そういった実例は枚挙にいとまがありません(『みちのとも』2021年6月号、p11)。
 
天理教の「人たすけたら我が身たすかる」という教えは、中井久夫のいう「ダメでもともと医学」の核心部分なのでしょう

天理教教祖は強い父の夢をみたか

 おやさまのお生まれになった大和国(現在の奈良県)三昧田村は藤堂藩の所領に属し、お生まれになった家は前川氏と申しまして、前川氏は藤堂藩につかえて苗字帯刀を映された近隣に隠れなき豪農にして、おやさまの父前川半七正信様は誠実温厚の聞えあり、母きぬ様もまた慈悲の心が深く夫婦和睦し、家庭の雰囲気はやわらいでおだやかでした。そのなかにおやさまは寛政十年四月十八日、長女としてお生まれになり、御名をみき様と呼び、あとに弟妹四人お生まれになりました(天理教南大教会『松永好松遺稿・普及版・教祖ひながたと基本教理』1993年、p3)。

 

*やはり、みきの父親を家父長制的な「強い父」(島薗進先生)と見ることには、無理があると思います。

天理教教祖と周囲の反対

 この不思議(神秘的な出来事ー熊田注)のために、夫善兵衛様は承知なさいましたが、親族の人等これを聞いておいおい集まってきて、全く狐狸の仕事、つきもの、狂気だ、と刀剣を持って、さまざまのものをもっておやさまを驚かし、世界の人等はまちまちの説して、鉄砲をおやさまの胸に火口を向けて驚かすなど、ありとあらゆる警戒の挙動しました。このときのおやさまの心中はいかがでありましたか。この苦心も、私にお聞かせくだされた時には、涙を目に出してお聞かせくだされました。実に私もともに涙を流して聞きましたこと、いまここに書き残します。心中に、おやさまが物語るくださることを思い出しますと、只今でも眼前におやさまがお出ますようなる心持いたします(天理教南大教会(編)『松永好松遺稿 普及版 教祖ひながたと基本教理』1993年(立教156年)、p12)。

 

*教祖の涙ー教祖も辛かったのでしょう。

 

 

天理教教祖と夫・善兵衛ー中川よしの心の琴線

 夫善兵衛様は次第に案じを抱かれて、この者の言葉に従っていては、いまにわれともども難儀の末乞食になるほかなし、と思われて、いまにこの妻を殺害するほかなし。と、ある夏のことにしておやさまが蚊帳のなかにお休みになっていたところへ、一刀の剣を携えて、寝打ちをしようと忍び足にて寝所に忍び入られましたが、おやさまは神のやしろゆえによくよくお知りであって、前もって起きておられ、善兵衛さまに向い、

「そこもとはわが妻と思えど、この者の身体は神のやしろなり。そこもとの自由にかなわず。」

 と仰せられました。その時、夫善兵衛さまは、その場にて刀を持ちながら身体自由かなわず、それゆえやむを得ず恐れ入り、ただちに手を下げて懺悔せられました(天理教南大教会(編)『松永好松遺稿 普及版 教祖ひながたと基本教理』1993年(立教156年)、p14)。

 

天理教教祖の夫・善兵衛は、教祖に「刃を向ける」こともあったという伝承です。広い意味では、ドメスティック・バイオレンスです。この記述は史実ではなく伝説でしょう。この資料は、天理教初期の女性カリスマ・中川よしが「教祖の話を聞いただけで、感動して信者になった」というその資料の現代語訳です。中川よしは、当時はバタード・ウーマンでした。最後には、DV夫を布教師にしています。中川よしは、「夫の暴力に脅かされる教祖」にも、共鳴するところがあったのだと思います。

 

アメリカ人の教会離れ

◎米国で「教会に属する人」の割合、初めて50%を下回る=ギャラップ社調査

 

 【CJC】米ギャラップ社が3月28日発表した世論調査では、アメリカ人で教会、シナゴーグ、モスクなど宗教組織に属するいわゆる「教会員」の割合は減少が続き、2018年は50%と半々になり、2020年には47%とついに半数を切った。同社が1937年に調査を開始した時は73%で、その後60年間は70%近くで推移していたが、21世紀に入った頃から減少の一途だった。

 

 調査は、3年ごとに米国の成人6000人以上のデータを用いて、さまざまなグループごとに推移を分析している。

 

 自分の「宗教的な選択」を明らかにしない人が増え、1998~2000年の調査では8%に過ぎなかった比率が、2008~2010年には21%に増加した。「教会員」割合減少の一部は、このような傾向と関係していると見られる。また「宗教的な選択」を明らかにしていても、正式な「教会員」となっていない人が増加している可能性もある。

 

 世代間の違いも大きい。1946年以前に生まれた世代は66%が「教会員」で、64年までに生まれたベビーブーマー世代も58%が「教会員」だが、80年代序盤までに生まれた世代では「教会員」が50%、90年代中盤までに生まれたミレニアル世代が同36%となっている。

 ミレニアル世代は「特定の宗教に所属している」と認識している人でも、「教会員」になる人の割合は大きく減少している。□