日本の新宗教と「ダメでもともと医学」ー天理教の事例ー

日本の新宗教の中には、入信者をいきなり布教に出す、または昔はそうしていた、というタイプの教団があります。従来、こうした信仰指導は教勢の拡大を目指す教団エゴの表れとして語られてきました。私は、そうした姿勢に教団エゴの表れという側面があることを否定しません。そうした信仰指導が、入信者の福祉に悪い影響を与えていたこともあったでしょう。しかし、「助かりたい」から「助けたい」への姿勢の変化には、一種の認知行動療法としての側面があり、それによって現在では不安障害の一種に分類されている疼痛性障害(心因性の痛み)が治癒し、それをきっかけに他の病気が治癒することもあったのだと思います。各種の依存症の自助グループにも、そういうところがあります。私が断酒会に初めて参加したときに、いきなりアル中病棟へ慰問に行かないかと勧誘されました。依存症(使用障害)の背後にある現実への不安感や空虚感を軽減できるのでしょう。

天理教教祖は、「病気は治ったけれども、すっきりとは治りきらない」という信者の訴えに対して、「手引き」は済んだけれどもまだ「ためし」が済んでいないのだ、と「人助け」を勧めています。「助かりたい」から「助けたい」への姿勢の変化が認知行動療法の意味を持つと知っていたのでしょう。

天理教教祖は、