白隠の「病床の三用心」

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-475.htm より転載
かかわり合う場の中で


(前略)江戸時代に白隠(1685-1768)という臨済宗の禅僧がいるんですけども、この人がこんなことを言っているんですね。「病床の三用心」という、病に伏した時の「三つの要」というような話をしていて、一つは、「呼吸に専念しろ」。意識的に呼吸することによって―仏教には呼吸によって心と体を調えるという技術がありますので、それに専念する。二つ目が、「死と向き合え」死と向き合うんだと。きちっと死を見つめる。その時に我が身はもう既に思い通りにならないんだから、全面的に人にお任せしろ、というんですよ。三つ目は、「自分の命は潰(つい)えても、たとい朝露の一滴になってでも他を潤(うるお)そう、という心を持て」という。これが三つの用心なんですけれども、それは出家の姿だというんですよね。だから人間は必ずいつか出家するんですよ、という、ちょっと面白い思想なんですけども。我が身を人に委ねるというのは、ある種の覚悟が必要です。人に身を委す覚悟というものを、ちょっとそのテーマにするというのは、現代人にとって必要じゃないかな、と気がします。なかなか人間は自分のためだけに生きるというのは辛いと思うんですよ。だから白隠の「病床の三用心」でも、面白いのは命は潰えて、この身がいろんな要素に分解されたとしても、朝露の一滴になってでも、花を潤そうとか、人の喉を潤そうという、そういう思いがあるからこそ、きちっと死と向き合える、というようなところがあるんじゃないですかね。(後略)