教師と生徒のからだ

 竹内敏晴は、教師のこういう姿勢を「今」がないととらえる。「『今』自分が相手の人と触れ合うことではなく、『「次は何か、次は何か』と課題に向かって身構えている。現在自分が何を感じ、何をしたいのかについては、何の感性も働いていない」。制度としてのからだは「今」を生きていない。だから「今」のみに生きている子どものからだに向かい合うことができないのだ。
 「子どもたちの反乱」と見える「学級崩壊」といった事態も一度は、制度としてのからだに拘束されている教師のからだと、物扱いされるのを嫌って今を生きようとする子どもたちのからだのギャップが埋めがたいほどに大きくなったことによるという竹内敏晴の仮説を検討する必要があるだろう(芹沢俊介「解説 竹内敏晴について」竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』ちくま学芸文庫、1999年、p252)。


*今回の「大阪市高校生体罰・自殺事件」の背後にも、教師と生徒の「からだのギャップ」があると思います。