「心の問題」の医療化について

 むかしのひとはそうではなかった。たとえばわたしの義理の祖母は、九十五歳になって家族に入院させられるまで、一度たりとも病院に診療を受けにいったことがなかった。歯や関節が痛めば何を煎じて飲めばいいか、腹が痛いときにはからだのどこを圧せばいいか、よく知っていた。だから家族が病んだときにも、とりあえずの応急措置はできた。
 人類学ではこれを「相互治療の文化」という。医療技術の急速な進化は、こうした「相互治療の文化」を急速に衰えさせていった。からだのことは全部、医師にまかせるようになった。こうして、ひとは身体の異変に関して無能力になっていった(鷲田清一「健康についてのヘンな話」『大事なものは見えにくい』角川ソフィア文庫、2012年(初出2009年)、p241)。


*「からだ/身体」を「こころ/心」に、「医療技術」を「薬物療法」に置き換えても、同じことがいえそうです。