『1Q84』または準<ひきこもり>の書いた<セカイ系>の物語

 オウム真理教の暴力性の根源は、根本教義にある「他者との共感共苦を断って心を安定させよ」という「聖無頓着」の教え、原始仏教の名を借りたニヒリズム思想にあります。村上春樹さんはそのことがまるで分かっていないのだと思います。この小説を一言で言えば、孤独に生きている普通の男性主人公とヒロインとが、<セカイ>を代表して、オウム真理教をモデルにしたとおぼしき「さきがけ」というカルト教団を操っている悪の根源、「リトル・ピープル」という名のラヴクラフト的な「邪神」たちと戦う、というものです。準「ひきこもり」的な作家が書いた<セカイ系>の物語と言ってもいいでしょう。この物語に決定的に欠落しているのは、<孤独>と<セカイ>との間の具体的な<人と人とのつながり>です。この本が大ベストセラーになったということは、そうした準「ひきこもり」的な生活をしている読者が、現代日本にそれだけたくさんいるということでしょう。現代日本の本を読むような人たちのそうした社会意識を知るための資料として読めば、有意義な本です。しかし、サブカルチャーによるオウム真理教事件の総括としては、浦沢直樹のマンガ『20世紀少年』の方がはるかに優れていると思います。
 『1Q84』では、閉塞感の中でセカイ救済を夢見る青年少女風の精神状況、つまりはアニメ=サブカル風のイメージ世界が利用され、その中で完結してしまっているということです。なお、ラヴクラフト自身は合理主義者でしたが、『考える人』(新潮社、2010年夏号)に掲載されているインタビューを読むと、村上春樹さんは「リトル・ピープル」の存在を本気で信じているようです。こうなると、もはや「ハルキ教」ですね。