「東京都青少年健全育成条例」の改正案に対する意見書

「東京都青少年健全育成条例」の改正案に対する意見書

                              2010年3月15日

                       明治大学国際日本学部 准教授

                                藤本由香里


(略)


1、まず、今回の改正案では、「非実在青少年」という新しい用語を導入し、第7条2項「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満もの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性 に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」としているわけですが、このうち、「〜として表現されていると認識される」、および「青少年の性 に関する健全な判断能力の形成を阻害…するおそれがあるもの」という規定のされ方、つまり「〜に見える」とか「健全な」という言い方は、いくらでも恣意的に判断されるものであり、いくら自主規制とはいえ、対象となる範囲が広すぎるものと思います。

2、上の条文は、日常的な言語に直せば、「18歳未満に見えるキャラクターの性的な行為を肯定的に描写することは、青少年の性に関する判断能力に悪影響を与えるので自主規制せよ」ということになります。「18歳未満」には当然、高校生も含まれますし、女性は16歳で結婚することもできます。現在、高校生の何割かが実際に性体験を持っていることは、統計などからも明らかであり、年齢ごとの発達段階を考慮せずに、3歳も17歳もいっしょくたにして定義する、こうした規定は、<「子供(18歳未満*)」を守る>役割を果たすというより、<青少年の知る権利を奪い、性を自分の問題として考えるための道を閉ざす>「純潔教育」を推し進めようとする規定だと言わざるを得ません。

児童ポルノもそうですが、わが国の「児童」の定義は「18歳未満」であることには注意が必要です。

3、こうした規定により、「18歳未満にみえるキャラクターによる肯定的な性描写」があるという一点において、優れた作品が自主規制の対象となることはあってはならないことだと考えます(事実、「児童ポルノ法」に「画像」も含まれるらしい、という噂が流れたとき、書店による過剰な自主規制が実際に起こっています)。そうした自主規制が、わが国のコンテンツ産業に与える打撃は、想像以上に大きいものです。

 かつて隆盛を誇っていたアメリカン・コミックスが、「コミック・コード」と呼ばれる表現規制が引き金となって凋落に向かっていったのと同じことが、日本にも起こらないとは言えないのです。しかも、マンガ・アニメ・ゲームというポップカルチャーの分野において、「いい作品」と「悪い作品」はパッキリと二つに分けられるものではありません。「東京国際アニメフェア」を主催する東京都が、そうした表現規制を行うにあたっては、慎重の上にも慎重でなければならないのではないでしょうか。

4、もしかすると、上のような条文は「自主規制」であって、都が「不健全図書」に指定するのは「強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写したもの」に限っている(新8条二項(8条一項))という説明がなされるかもしれません。

 しかし、改正案だけを見るとそう見えるかもしれませんが、「不健全図書」の規定には、すでにその前項が存在しており、そこには「図書類又は映画等で、その内容が、青少年に対し、著しく性的感情を刺激し…青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの」(8条一項)と定められています。つまり、もっと包括的に「不健全図書」指定ができる条文がすでにあり、今までもそれに基づいた摘発が行われています。

 つまり実際には、新8条二項の規定には意味はないのであり、いかにも「非実在青少年」の取締りの範囲を限定しているように見せるための目くらまし、として入れているとすら解釈することができます。

 以上のことからもわかるように、今回の改正案は、「氾濫する過激な性表現」を取り締まろうとするものではなく(それに関してはすでに規定があり、現に取り締まられています)、「18歳未満に見えるキャラクターの肯定的な性表現」を取り締まろうとするものです。そのことはきちんと認識していただきたいと思います。

5、次に、「非実在青少年」規制というのは、児童ポルノ法に、画像を含めようとする流れの中で出てきたものだと考えられます。意思に反した、あるいは判断能力を失った状態で撮影された、現実の被害児童が存在する実写の児童ポルノ映像を根絶するよう務めるのは当然のことですが、そこに、実際の被害児童が存在しない画像まで含めようとするのは、はたして本当に児童を守ることになるのかどうか、真に慎重な議論が必要だと思われます。なぜなら、わが国の実際の性犯罪率は、性描写が広く行われてくるにつれて総体的には減る傾向にあると考えられ、表現に非常に厳しい規制をしいているアメリカの性犯罪率は、わが国の数倍に及ぶからです。


6、最後に、出版社ほか、ほとんどのメディアが東京に集まっている現状では、東京での規制は全国規制とほとんど同じ意味を持ちます。
 にもかかわらず、今回の条例案が出されてから成立までのスケジュールは、異常とも言えるほど短く、当該の改正案が発表されたのは、2月24日、意見表明期間は25日一日のみ、3月3日に代表質問、4日に一般質問、質問は事前提出と、議員にも数日の猶予しか許されない日程で、18日の総務部委員会で事実上賛否が決定し、3月末に投票→成立というスケジュールです。
 しかも、ジャーナリストでさえ、こうした条例改正案が出されていることをほとんど知らず、世間の目から隠され、論議もないままに急いで可決されてしまおうとしています。
 民主主義の大原則に照らして、このような決め方に問題が大きいのは明らかです。

 国の論議の場で問題点が指摘され、成立しないでいる表現規制(児童ポルノ法に画像を含めるかどうかの議論と単純所持の問題)を、東京都が先取りして実質的に決めてしまおうとする、これほど影響が広範囲に及ぶ条例が、このような手続きで決められていいはずがありません。この改正案を、今回、ほとんど議論が封じられた状態で成立させてしまうことは、民主主義の根幹を裏切ることだという認識を、どの会派の方々にも持っていただきたいと思います。都議会議員の方々の良識に期待します。