メランコリー/男らしさ/嗜癖

 恥は、自分はできそこないだというつらい感情がうっ積したものです。自分のことを、不完全、不十分、あるいは「劣っている」と思うとき、私たちは恥を体験します。恥を別の言葉で言い表すと、自分のことをバカ、愚か、醜い、汚い、きずもの、欠陥品などと思うことです。
 恥の層を取り去ると、通常、その下に見捨てられ体験があることに気づきます。これは物理的見捨てられと情緒的見捨てられの両方のこともありますが、情緒的見捨てられだけの場合もあります。いずれの状況においても、見捨てられ体験は、子どもの発達にとって外傷的なものです(クラゥディア・ブラック『私は親のようにならないー嗜癖問題とその子どもたちへの影響 改訂版』誠信書房、2004年、第5章「恥のサークル」より;p.99)
 社会としては、歩行可能な負傷者、すなわち自分の問題を否認している人々のほうに敬意を払っているので、人々がうつ病を覆い隠す必要性を作り出しています。社会化と嗜癖的生育歴が重なり合うと、男性にとって感情の問題は、ますます恥をともなったものとなります、男性は女性の四倍自殺しやすいことは驚くに値しないでしょう。文化的にも、男性は危険を顧みない行動に出ることが奨励され、期待されています。その結果、男性は女性よりもうつ病嗜癖で覆い隠そうとすることがますます多くなるのです。
 多くのアダルトチルドレンが明白なうつ症状を呈するようになるまでには、普通長期にわたって慢性的なうつ病が隠れているのであり、それがついに爆発しただけのことなのです(同上、p.119)。


 私は、「男性は女性よりもうつ病嗜癖で覆い隠そうとする」とは思いません。ブラックは精神科医ではなくソーシャルワーカーなので、うつ病という精神疾患についてはよく理解していないのだと思います。しかし、「男性は女性よりもメランコリー(=原因不明の抑うつ状態)を嗜癖(例えば、「飲む、打つ、買う」という行動化)で覆い隠そうとする」と言い換えれば、その通りだと思います。「飲んでいるときはバラ色、飲まないときは灰色」(精神科医斎藤学