司馬遼太郎にとっての<個的領域>

「勝手な理屈ね。人間て、そんなものじゃないわ。男でも女でも、だれかの持ち物でなくちゃ、生きてゆけないものよ。子どもは親の持ち物だし、親は子どもの持ち物だわ。男と女がいい仲になれば、お互いはお互いの持ち物だし、持ち物でない人間てないわ。あれば、それはきっと人間の形をしているだけで、野良犬よ」(司馬遼太郎『風の武士 上』講談社文庫、1983年(初出1961年))

 司馬遼太郎(1923-1996)という「国民的作家」に、人間の、公的領域・親密的領域とは区別される<個的領域>に対する感性が完全に欠落していたことをよく示している文章です。司馬遼太郎には、「資格」よりも「場」によって人間が決定される「タテ社会」(中根千枝)のイデオローグとしての側面があったのであり、だからこそ、戦後日本の「国民的作家」になれたのでしょう。