安丸良夫の「通俗道徳」と初期天理教

 ここで江戸中期以後の日本農村が、宗教的、儒学的、通俗道徳的、修養鍛錬的、実学的な諸知識と同時代の情報とに関してかなりの飽和度を示すことを思い合わそう。とくに、西日本においては貨幣経済に適合した換金作物をも栽培する富農あるいは半農半商の豪家の情報蓄積量は、豊富性と雑多性においてわずかに堺大阪の豪商に譲るのみである。そしてこられの情報は、富農層をはじめ村の知識層から村人の問いかけに応じて拡散する。西日本に限らない。野口英世の母シカは貧家の少女の身で、ある日思い立って村の住職に「人間いかに生くべきか」を問いにおもむくのである。少なくとも一九世紀から二〇世紀半ばまでの期間の日本農村には、安丸良夫が「通俗道徳」と呼んだ民衆宗教と、それを浮かべるスープのごとき倫理的・道徳的な問いかけの運動が、村々をひたしていた(中井久夫『治療文化論ー精神医学的再構築の試みー』岩波同時代ライブラリー、1990年、pp.41-42)。


中山みきと初期天理教が連想されます。