男と人間のあいだの矛盾

 私は、人類とは人間と女の合計であるというような、保守的な社会的男にくみすることができないのと同様、いずれは種的な男女が社会的人間として統一されるなどという、安易な理想主義者にも、容易には同調しかねるのである。唯一の解決策は、たぶん、すべての男女が種的存在に徹し、社会的には、ただ人間だけになってしまうということだろう。しかし、現在の男女には、はたしてそんな器用な自己操縦が可能なものだろうか。
 私としてはやはり、現在あるがままの混沌に、かかずらう以外にはないのである。たとえば「砂の女」の場合のように、女よりもむしろ砂に注目することで、ジャンヌ(熊田註;ジャンヌ・ダルク)とマリリン(熊田註;マリリン・モンロー)のあいだの、あらゆる女の相をきわめてみたい。それは単に、女と人間のあいだの矛盾にかかわることだけでなく、そのままそっくり、男と人間の間の矛盾にもかかわってくる問題だからである(安部公房「私の書きたい女」『砂漠の思想』講談社学術文庫、1994年(初出不明)、pp.193-194)。


安部公房氏のいう「男と人間のあいだの矛盾」を探求することは、まさに「男性学」の課題でしょう。