やなせたかし氏の弟の「特攻志願」

 弟は、京都帝大の法科の学生でしたが、そこから海軍に志願したのです。
「おまえ、なんでそんな特攻隊なんかに志願するんだ。やめろ、やめたほうがいい」
 やむにやまれず、僕は弟にこう忠告しました。すると弟は、こう答えたのです。
「大学に海軍の将校がやってきて、“特攻隊に志願する者は、一歩前へ”っていう。けど、みんなが一歩前へ出るのに、自分だけ出ないというわけにはいかない」
 僕は釈然としませんでした。が、このとき弟は、視力があまりよくなかったために、海軍の特攻隊に落ちたのです。僕は胸を撫で下ろし、「よかったじゃないか、特攻隊なんか行くな」といいました。
 ところが、大学へ志願要請がまた来て、結局、「回天」での特攻隊への入隊が決まったのです。「回天」はひとり乗りの非常にちっちゃな特攻潜行艇で、その艦の中は真っ暗闇。懐中電燈で照らしながら操作して、前進だけしかできない代物(しろもの)でした。訓練も命がけで、その訓練中にたくさんの若者が亡くなったのです。
 弟はその訓練を受け、海軍少尉に任官しました。その当時は“7つボタンの制服”で格好はよかった。「おお、カッコいいじゃないか」と僕がいったら、「いや、こんなものは猿芝居だよ」と弟は一言。海軍の特攻隊に志願はしたけれど、弟は軍国少年ではありませんでした。“猿芝居だ”といったように、本当は特攻隊などに行きたくはなかった。弟は、時代という目に見えないものに、拉致(らち)されたような気がしてならないのです(やなせたかし『絶望の隣は希望です!』小学館、2011年、pp.77-78)。


やなせたかし氏の「軍国少年ではなかった」弟の「特攻志願」には、やはり「ホモソーシャルな絆」の無言の圧力が大きく関わっていたのだと思います。