佐藤忠男とホモソーシャリティ

 長谷川伸の股旅もののヒーローたちがさっそうとして見えるのは、たんに、腕っぷしが強くて、いなせないい男であるというためだけではない。むしろそれ以上に、自分は、女一人すら仕合わせにできないほどに、やくざな男である、ということに、強烈な責任感と自責の念を持っている男だからである。女こどもの幸福に責任を持つ、ということは、たしかに、男らしさ、ということの欠くべからざる要素であろう(佐藤忠男長谷川伸論―義理人情とはなにか―』岩波現代文庫、2004年(初出1975年)、p114)。


佐藤忠男のこの洞察に決定的に欠落しているのは、「長谷川伸の股旅もののヒーローたち」が、イヴ・K・セジウィックのいう「ホモソーシャリティ(男性間の非・性的な絆)」の「特権性」(「男」にとっての「義理」の重さ)は全く疑っていないということでしょう。