AKB峯岸さん謝罪の丸刈り

http://digital.asahi.com/articles/TKY201302010381.html より転載
AKB峯岸さん謝罪の丸刈り、どう思う?


 AKB48の峯岸みなみさん(20)が、動画サイト「ユーチューブ」に丸刈り姿で登場、涙の謝罪をした。一体何があったのか。
 「たくさんの皆様にご心配をおかけしまして、本当に申し訳ありません」
 映像は1月31日午後、同サイトのAKB公式チャンネルで公開された。ロングヘアだった峯岸さんが丸刈り姿で冒頭に謝罪の言葉を述べ、約8秒間頭を下げた。「私がしてしまったことは軽率で自覚のない行動」「まだ……頭の中が真っ白で」と言葉をつなぐ。不ぞろいな額の生え際が生々しい。「いてもたってもいられず(略)誰にも相談せずに坊主にすることを自分で決めました」と、左目から涙がこぼれた。大粒の涙を流し、「AKBをやめたくない」と訴え3分49秒の動画は終わる。
 この日、発売された週刊誌で峯岸さんの男性関係が報じられ、今月1日付で研究生に降格処分とすることが発表された。峯岸さんは、AKB結成時の2005年からの1期生。AKBのメンバーにとって、恋愛禁止は暗黙のルール。過去にも、週刊誌に交際を報じられた指原莉乃さん(20)は福岡のHKTへ移籍するなど、複数のメンバーが恋愛をめぐって話題になった。
 アイドルは恋愛してはダメなのか。結成20年のアイドルグループ制服向上委員会(SKi)会長の橋本美香さんは「時代錯誤。水着姿で人前に出して、恋愛禁止って何か意味があるんですか。丸刈りも必要ない」と首をかしげる。「恋することで新しい世界がみえることもあります」「反省した後、何をするかのほうが大切ではないでしょうか」
 また、アイドルに詳しい稲増龍夫・法政大教授(メディア文化論)は「今は結婚しても子どもがいてもアイドル。だからこそ、あえてファンタジーとして恋愛禁止を提示しているのだろう」とみる。
 また、稲増さんは、昨年のAKB総選挙以降、大きな話題を出せていないと指摘。「人気のピークが過ぎたかどうかは分からないが、こういう話題へのすばやい対応がファンを引きつけるのだろう」という。
 東京・秋葉原のAKB48劇場前でファンに聞いた。工員の男性(24)は「恋愛禁止のおきてが厳しいのは知っているが、ここまで反省しているんだから許してあげてほしい」とかばう。フリーターの女性(40)は「女性にとって髪は大切。あんなにばっさり切るなんて、私なら死にたいくらい。峯岸さんは、長くてきれいな髪がすてきだという印象が強かった。ものすごくショック」。会社員男性(25)は「けじめのつもりなのだろうが、ファンとしてあの痛々しい姿は見たくなかった。映像を見て悲しくなった。AKBは若年層に影響力がある。いじめで丸刈りにさせる子がでないか心配」。
 元アイドルで会社経営の千葉麗子さん(38)は「見せしめの体罰のようだ」という。芸能界では以前から「反省イコール丸刈り」というならわしがあった。アイドルをしていた10代のころ、自身の交際のことでマネジャーが丸刈りになり、「申し訳ないと思う一方で、嫌悪感があった」と振り返る。
 インターネットにくわしい岡村久道弁護士は「映像を見て、心寒さを感じた」。すでに画像が国境を問わずネット空間にあふれ、この先残る可能性があると指摘。「本人がそこまで重い影響を含めて承諾していたのだろうか。仮に本人が思い詰めて決断したとしても、『大人』であるAKBの運営側が公表しない判断もあったのではないか。動画をアップする権限はAKB側にあるが、ショッキングな映像を出すマーケティング上の効果を考えた可能性がなかったか、疑問が残る」と話す。
 今回の謝罪を危機管理のプロはどうみるのか。広報コンサルタントの石川慶子さんに分析してもらった。ポイントは、(1)謝罪の気持ちが相手に伝わったか(2)相手の信頼を得られる表現だったかの2点。石川さんは「今回の謝罪は、プロの目から見ても高く評価できる」と結論づけた。
 (1)では、事実認識、反省、後悔、償い、ざんげの5項目のうち4項目を満たした。「自分の行為を率直に軽率と認め、自分で丸刈りという罰も科した。『二度としない』というざんげの言葉がない以外は満たしており80点」と高評価。(2)も動画サイトを使い素早く対応し、一貫して自分の言葉でおわびの気持ちを伝えるなど、透明性、独自性といった五つのチェック項目をすべて満たした。「丸刈りには賛否両論あるでしょうが、相手からやりすぎと言われるぐらいできれば、謝罪は成功なんです」
 石川さんは、一般論とした上で、こうも指摘する。「事務所にとってアイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」(北林晃治、太田航)


峯岸みなみさんは、私のFB友達です。謝罪のための丸刈りというのは、「死と再生」を暗示する大乗仏教的な発想でもあるのでしょう。