生まれ変わりの説の見解と相違―因縁説と選択輪廻観

http://www1.m1.mediacat.ne.jp/marion/umarekawari.htm より転載
生まれ変わりの説の見解と相違


「だいたいにして、頭の病気を患うような人は最低の因縁」
天理教の布教所の先生が、神殿でたくさんの人が集まっている前で言った。頭の病気を患っている人間とはすなわち私である。何もみんながいる時に言わなくてもいいのに・・・私はとても傷ついた。
因縁・・・なんて嫌な言葉だろう。天理教の教えでは、前世で悪いことをしたら、現世で不幸になると言う。また、前世で高徳をつんだものは、現世で幸福になると言う教え。
私は、今生きている世界で何も悪いことはしていない。私は前世で、どのくらい悪いことをしたのだろうか?
天理教の教えでは私のように精神の病にかかるものは、前世では極悪人だった。そういう教え。
私の母は天理教を信仰していた。幼い頃から“生まれ変わり”の話をよく聞かされたので、私はずっと生まれ変わりを信じて育った。子供の頃は自我もなく、因縁と言う言葉とも関係なく育った・・・が17歳で精神病になった時から強く“生まれ変わり”を意識しはじめるようになった。
私は精神病・・・前世で悪いことをしたから病気になった。現世はもう諦めよう。せめて来世では幸せになりたい。そのためには「徳」をつまねばならない。すなわち「いい人」にならないといけない。
そう感じ始めた。私は17歳にして「来世」すなわち「死」を意識し始めたのだ。
思うに・・・私の青春は「死」を夢見る青春だった。早く死んであの世に行きたい。でも自殺すると浮かばれないと言う。だから自殺をしないで、何とか早く死ねないだろうか?そんな青春を経て、私は30代を迎えた。
30代になって、新しい出会いがあった。それはホームヘルパーさんの存在。井戸さんというホームヘルパーさんが、私にコペルニクス的展開とも言える、生まれ変わりの“新説”を教えてくれた。
「精神病になる人は選ばれた存在よ!」
井戸さんはそうおっしゃった。
井戸さんも天理教のように、輪廻転生があるという説を信じている方だった。しかし、井戸さんの信じている生まれ変わりは、「因縁」で、また違った言葉で言うと「業」とかで現世での幸、不幸が決まるという考えとは違うものだ。
「マリちゃん。どんなに望んだって、なかなか精神病にはなれないのよ。精神病になる人は、この世で厳しい試練を受けることを自ら望んで生まれて来た人なの。清い魂を持った人しか精神病にはなれないのよ。マリちゃんは神様から選ばれた存在なのよ!!!」
その井戸さんの言葉に私は救われた。
井戸さんのおっしゃる生まれ変わりとは、地球は学びの場所で、生まれてくる前に自分の人生のシナリオを選び、それを地球で演じるという教えだった。その井戸さんの説と、天理教の教えとどちらが正しいのか、私には解らない。でも「精神病=極悪人」と「精神病=清い魂を持った人」と、二つの説があるならば、私は後者を信じた方が、幸せになれると・・・そして現在、私は幸せな気持ちを持てるようになれたのだ。そして、今はもう「死」に逃げることなく生きている。