いじめ問題と「よい子」

 何という可愛げのない少年だとお思いのことであろう(なぜか私は当時(熊田註;太平洋戦争中)からファナティックなことが嫌いだった。軍国少年ではなかった。終戦時の価値転換の経験がない)。しかし、私のことはとにかく、一般に可愛げのある子どもたちであることを求める傾向は全体主義への傾斜であると私は思う。児童のことを「よい子」と呼ぶのはたしか戦時中にはじまる。“可愛げのない”小学生の私には、この言葉に歯の浮く思いがあった。現在の思春期問題の解決の落ち行く先が再びこうであってはなるまい。私はそれを言いたいのである(中井久夫「『思春期』を考えることについて」『「思春期」を考えることについて』ちくま学芸文庫、2011年(初出1981年)、p.87)。


*傑作論文「いじめの政治学」(『アリアドネからの糸』(みすず書房、1997年)所収)の著者の発言だけあって、重みがあります。比肩すべくもない例ですが、私も小学生時代、日教組旧ソ連から導入した「班競争教育」をめぐって、「ソ連は収容所列島でもある」と発言し、共産党員だった小学校教師(人間的にはいい人でしたが)に睨まれていました。
 日教組出身の人物を幹事長に据えている現在の与党に「いじめ問題」の抜本的解決ができるとは思えません。