「無条件の愛」から「無条件の生の肯定」へ

 親を責め、深刻な対立を繰り返しながらも「働けない」彼らは親元で暮らし、そのこと自体をなじられた。「働かない」ことを責める親の怒号は「小さなころから親の言うことを聞くいい子じゃなければ愛してくれなかった」記憶を呼び覚ました。しかし、彼らの多くは親の言うことを聞き、頑張ってきた。「戦後日本の神話」を親に耳元で吹き込まれながら、。「いい学校、いい大学、いい会社」という幻想の圧力に押しつぶされそうになりながら。しかし、自分が社会に出た途端、「不況になったのでいままでのことは全部うそになりました。」とハシゴをはずされたのだ。その怒りは、もっとも身近で「頑張れば報われる」という大うそを吹き込んできた親に向けられた。その時、「アダルトチルドレン」という言葉ほど「便利」なものはなかったのではないだろうか。
 そうして、この物語に「乗った」私のまわりの少なくない若者は、泥沼のような親との対立を繰り返し、みずから命を絶っていった。90年代後半、かろうじて「アダルトチルドレン」という物語に乗らずに「愛国」という物語に乗った自分は、はからずも生きのびることができた。そしてここ二・三年、「無条件の生存」を掲げる「労働/生存運動」が若者たちの間で逆ギレとも言える形で始まり、〇八年の今、フリーターもニートも引きこもりも、生存のために「連帯」を始めている。
 無条件の生存の肯定と、無条件の愛。似ているけれど、どこかが違う。それは肯定の主体が「私たち」であるという点だ。無条件に愛されたかったという過去の受け身から、力業のように肯定の回路を取り戻す試み。
雨宮処凛香山リカ「対論 生き抜くこと」七つ森出版社、2008年、p205-206)

 1990年代に「アダルトチルドレン」という言葉に引きつけられた当事者の若者が、家族関係から社会構造へと視野を広げ始めたのは、とてもいいことだと思います。「アダルトチルドレン」が「医療」の問題から、「無条件の生を肯定する」「宗教」の問題へと移行し始めた兆しでもあると思います。