「フーテンの寅さん」またはマザコンおやじ

ウーマン・リブ田中美津は、近代日本のジェンダー秩序を「女は男に媚び、男は社会に媚びる」と喝破した。佐藤忠男の「忠臣蔵―意地の系譜」は、そのうち「男は社会に媚びる」メカニズムを分析した名著である。しかし、その佐藤ですら、女性学の成果は経由していないので、日本人の男性性を論じるときに男性中心主義の尻尾が抜け落ちていないように思われる。佐藤が映画の「男はつらいよ」シリーズを非常に高く評価することに、彼の無意識の男性中心主義がよく現れている。「寅さん」は、ファッション性にはおよそ無縁である。佐藤は、著書「みんなの寅さん」において、渥美清が演じる「寅さん」に「義理人情の世界」に生きながらも、「忠義の原理」(佐藤が忌み嫌うもの)からは無縁で、西欧から輸入された「近代的恋愛」もできる男性像を見ている。しかし、私の考えでは、寅さんは妹・さくらに際限なく甘ったれている。これはフェミニズムがしばしば指摘する近代日本人男性の「マザコン」そのものである。ただ、「男はつらいよ」シリーズでは、「母親が不在である」という設定によって、マザコンがうまくカモフラージュされているのである。また、寅さんの「マドンナ」たちに対する「騎士道的求愛」は、女性解放運動がしばしば指摘する「家庭において女性を従属させる」男性の戦略そのものである。ただ、「男はつらいよ」シリーズでは、「最終的には失恋する」という設定によって「家父長制」がうまくカモフラージュされているのである。カモフラージュされてはいるが、寅さんの正体は、フェミニズムが批判する「近代日本のマザコンおやじ」である。「マドンナ」が、「私最近溜まっているから、寅さん、今晩一発やろう」と誘いかけたら、寅さんは逃げ出すのではないだろうか。