茶道人口減少の原因
https://note.com/sototakei/n/nd27030020275
より転載
本記事は「茶道人口減少の原因について」の第三章です。
ではいよいよ本題に入りたいと思う。
ここでは私が流派内外で得てきた個人的経験や知識に基づいて書く。3つの原因とは、「免状の価値の凋落」、「流派運営の茶道離れ」、「教授者の茶の湯離れ」である。
「手を触れる」ことの治療的意味
川嶋:日本語の「触れる」という言葉には、直接触れるというだけでなく、心に触れるという意味もあります。心をこめた手で触られれば、相手は共感されている、支えられている、励まされていると感じ、苦痛や緊張が緩和され、心拍数や血圧が下がったりすることがあります。「触れる」効果にはエビデンスがあるのです。肌に触れることで愛情ホルモンと呼ばれるオキシトシンが分泌され、リラックスするのです。この「手を触れる」ことを、見直してほしいと思っています。
医療機器が示す数値でしか患者さんの苦しさがはかれない看護師が増えているのは、危機的状況です。看護の基本は苦痛の緩和です。それは、がんの痛みをモルヒネで調整することばかりではない。看護師が患者さんのそばにいてマッサージをし、足浴を行うことで苦痛を緩和することができ、そうやって生活の質を高めるケアこそ、看護師が独自にやらなければならないのです。
*宗教による信仰治療、たとえば天理教の「おさずけ」の意味を考えさせられます。「医療がますます機械化されるにつれて、看護は、ますます『心遣い』の問題になるだろう」(中井久夫)。
藤井風の人気とタイ上座仏教
藤井風の「死ぬのがいいわ」の世界的人気は、日本でも欧米でもなく、上座仏教の国タイから火がつきました。藤井風の「ハイヤーセルフ(自分の中の理想の自分)」の観念と上座仏教の「仏性」観が共鳴現象を起こしたのでしょう。
宗教と世俗、そして想像力の慣用語
前のジョージ・サンタヤナについていえば、彼は全能の神の存在を信じていません。不信心者ですから、分類すれば無神論になりますが、それにもかかわらず神という考えは、彼の中に生きているんです。彼にいわせれば、“idioms of imagination”(想像力の慣用語)というものをそれぞれの宗教は持っている。生まれてからずっと言葉の行き交いや仕草と共に育つと、《想像力の慣用語》が育まれる。それを通してものを考える方が、考える翼が伸びていくんですね(鶴見俊輔『かくれ佛教』ダイヤモンド社、2010年、p208)。
*この「想像力の慣用語」という概念は、「宗教VS世俗」という二分法を脱構築する上で有効だと思います。
大本における短歌と茶道
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195402c8511
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195402c8513
大本の男性教祖・出口王仁三郎は、短歌については、昭和2年(1927年)に「明光社」(昭和24年(1949年)に大本「楽天社」になる)を設立して信者に奨励していました。茶道も高く評価していましたが、茶道が教団内に普及したのは、少し遅れて、戦後、三代教主・直日の活躍が大きかったようです。