フェミニストは心がきれい?

 私は、「フェミニストは必ず心がきれい」だなんて全く信じていません。私事で恐縮ですが、私は最初に内内定していた大学の常勤職への就職を、その大学の、極端に左翼的な政治的主張で知られる某有名フェミニストにさんざん誹謗中傷されて、つぶされました。2校目に声がかかった大学に就職できましたから、まだいいようなものですが。某有名フェミニストは、私に学生たちの人気を取られるのが怖かったのでしょう。大学教員の人事では、悪貨は良貨を駆逐します。バカを採用すると、そのバカは自分の身の安全を守るためにさらにバカな人を採用し、結局組織全体が競争力を失います。そのフェミニストは、「大きな差別を受けている人間には、小さな差別は許される」と自己正当化していたのでしょう。
 小林よしのりの『ゴーマニズム宣言/差別論スペシャル』(彼のベストの作品だと思う)で、部落解放同盟の組坂繁之氏が、「『差別されている人間は必ず心がきれいだ』という神話は、結局差別する人間にとって都合のいいものである」と言っていました。私も賛成です。
 私の学生時代の経験では、保守タカ派の教員には寛容な人格者が多く、左翼の教員にはエキセントリックな人が多かったです。多数派と少数派の「心の余裕(ゆとり)」の差でしょう。「善人と悪人がいるのではなく、ゆとりのある人とゆとりのない人がいるのである」(中井久夫)。