ホモソーシャルの定義

 すなわち婚姻とはふたりの男女の絆ではなく、女の交換を通じてふたりの男(ふたつの男性集団)同士の絆を打ち立てることであり、女はその絆の媒介にすぎない。ここに男同士の間の本来の目的があり、異性愛者の「真の絆」の対象は、同性の男と見なされた。
 このセジウィックの説には、以下の三つの概念の構造的な配置がある。第一は、男同士で互いに男と認め合った者たちの連帯である。これをセイジウィックはホモソーシャル(男同士の絆)と呼ぶ。第二は、男の欲望を女にさしむけるための、同性の男に対する欲望の禁止である。これがホモフォビア(同性愛恐怖)である。第三は、男同士の連帯から排除され、欲望の対象となる女の他者化(ミソジニー、すなわち女性嫌悪)である。これが<ホモソーシャルホモフォビアミソジニー>、この三点セットである。
 もっと簡単に説明しよう。男は、互いに男と認めあった者たちのあいだで連帯をつくりだし、その男の集団への参入資格が「女をモノにする」ことである。そしてそのあいだに潜在している男同士の欲望は、そのつど検閲され、排除される。それによって異性愛制度は維持されていく。それが男から同性愛者に対する「おまえ、おかま(原文傍点)かよ」という差別と排除であり、「キモチワルイ」という身体化された検閲の機能である(上野千鶴子『女の思想』集英社インターナショナル、2013年、pp.206-207)。


*<ホモソーシャル>の簡にして要を得た説明です。