井の頭線的凡庸さ

 学問の世界は、30才で格が決まり、40才ではもう勝負がついている厳しい世界です。私はいま46才ですが、学者としては、自分で言うのも手前味噌で気が引けますが、まずまずの成功だったと思います。もちろん私は、マックス・ウェーバーのように100年立っても古典として読み継がれるような作品を残せるような天才ではありません。しかし、引退後にマイナーな出版社から著作選集を出せるくらいの自信はあります。
 私のような学者を、蓮實重彦元東大総長は、「井の頭線的に凡庸な学者」と表現します。東京の私鉄・井の頭線は、駅の間隔が短い。井の頭線的凡庸さとは、同時代の学者より「ほんの少し先を行く」程度の小さな才覚はあるが、「100年先を行く」ような天才は全くない、という意味です。学生時代から、私が面白いと思うものは、10年位すると流行するようになります。小さな才覚はあると思います。ジェンダーを回避する島薗進氏(東京大学)の宗教学と、宗教を回避する上野千鶴子氏(東京大学)のジェンダー研究を、次世代の観点から結びつけて、「近現代日本における宗教と男性性(マスキュリニティーズ)」という自分の学問領域を作り上げた、ということにささやかな満足を感じています。