アメリカにおける無宗教と無所属

https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0210_14.html

より転載

■ 「世俗化」論の留意点

宗教が軽視されてしまうのは、「世俗化」が進んでいる、という言説のせいでもある。

例えば、ギャラップの調査によると、「無宗教」に分類される成人は、00年には30%ほどであったが、20年には53%まで増加した。原因は、教会が過度に政治化したことへの反発だといわれている。こうしたエビデンスをもとに唱えられる世俗化論は、これまで宗教保守が復活を繰り返してきた過去も忘れさせてしまう。

しかし、一般的に「無宗教」と訳されている「unaffiliated」は、正確には「無所属」であり、信仰を捨てたことを意味しない。政治への関心を失ったわけでもないし、信条を変えたわけでもない。故に宗教保守は、今世紀に入ってますます共和党支持を強固にしているのである。

そもそも、神を信じない「無神論者(atheist)」は現在でも4%ほどで、しかもその内の5人に1人は、神に類する「より高い力」を信じている。「世俗化」については多角的に考えなければ、宗教保守の動向だけでなく、「宗教大国アメリカ」の行方を見誤ってしまう。

■ 「ポスト世俗化」論の拡大

データを参照しつつも思想的に考える社会哲学にあっては、逆に「ポスト世俗化」論が有力になっている。

例えば、近年、格差是正のための理論として「正義論」が参照されることが増えているが、著者であるジョン・ロールズは、晩年に宗教を再評価しようとしていた。その試みを今世紀に入って引き継いでいるものこそ「ポスト世俗化」論にほかならない。

現代でも宗教は、かたちを変えて影響力をもっており、それを軽視できない時代になった、という見方である。しかも、宗教は「分断の要因」ではなく「連帯」や「変革」のための契機やエネルギーにもなる、と考えられている。具体的には、南北戦争(the Civil War)や公民権運動における宗教、あるいは民主主義やボランティアを支える「社会関係資本」としての宗教などが想定されている。

中間選挙についても、そうした視点をもって見なければ、宗教は時代遅れなものとして軽視されるか、妄信として敵視され、分断をますます深刻化してしまうだろう。