負け組の怨恨と勝ち組の傲慢

「評価の偏在」するハイパー・メリトクラシーの後期産業社会では、負け組の怨恨が蔓延するとともに、勝ち組も傲慢になり、その両者が悪循環を作るようになります。前者については、ニーチェルサンチマン論などで論じられますが、後者についてはあまり論じられません。しかし、アメリカで白人低学歴層の、自分たちを見下す高学歴層勝ち組に対する反感がトランプを大統領に選ぶ大きな力になったように、もう無視できない大きな社会問題になっています。勝ち組も、かつての身分制社会におけるノーブレス・オブリージュのように、自分を律する「勝ち組の社会的義務」を考える必要があるのでしょう。日本の場合、「あなたが人より強く生まれたのは、弱いものを助けるためです」という侠気の伝統が再活性化される必要があるでしょう。