日本宗教における神話的暴力と神的暴力

(前略)あらゆる領域で、神話に対して神が対立するように、神話的暴力に対しては、神的暴力が対立する。しかも、神的暴力と神話的暴力の対立は、あらゆる点で対置関係によって特徴づけられる。神話的暴力が法措定的的であるとすれば、神的暴力は法を壊滅するものであり、神話的暴力が境界を設定するのに対して、神的暴力はそれを果てしなく[何の境界線もないまま]壊滅する。神話的暴力が、罪を犯すことと罪を償うことに同時に関わっているとすれば、神的暴力は罪から解き放つ性格をもつ。神話的暴力が脅かすものであるとすれば、神的暴力は有無を言わさず叩きつけるものである。神話的暴力が血にまみれているのに対して、神的暴力は全く血を流さないまま命を奪い去る(ヴァルター・ベンヤミン「暴力の批判的検討」『ベンヤミン・アンソロジー』河出文庫、2011年(原著1921年)、p73)。
ユダヤ教の伝統と異なり、日本宗教では、神話的暴力と神的暴力は連続的です。
 
天理教と〈暴力〉の問題系」を再論する